ガダルカナル島の戦い以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 04:50 UTC 版)
「潮 (吹雪型駆逐艦)」の記事における「ガダルカナル島の戦い以後」の解説
8月17日、大和型戦艦1番艦「大和」(連合艦隊司令長官山本五十六中将、同艦隊参謀長宇垣纏少将、黒島亀人先任参謀等座乗)、特設空母「春日丸(大鷹)」、第七駆逐隊(漣、潮、曙)は桂島泊地を出撃し、トラック泊地に到着へ向かった。8月23日、駆逐艦「浦波」、油槽船「極東丸」と合同し、燃料補給を受ける。第七駆逐隊(潮、漣、曙)はたびたび「大和」から洋上燃料補給を受けており、宇垣参謀長は陣中日誌戦藻録に『四日毎に腹を減らす赤坊にも困りものなり。』と述べている。第二次ソロモン海戦時、「春日丸」「潮」「漣」「曙」は山本長官(「大和」)を護衛し、ソロモン諸島北東方面を航海していた。8月27日、航空機輸送のため「春日丸」「曙」は艦隊から分離、ラバウルへ向かった。これにより対潜・対空警戒が困難となり、「大和」「潮」「漣」はトラック泊地へ帰投する。8月28日、トラック泊地を目前にして「大和」は米潜水艦「フライングフィッシュ」に雷撃される。「潮」「漣」と「大和」搭載の零式水上偵察機は爆雷攻撃を実施、敵潜より再度の襲撃を受けることはなかった。 9月上旬、第七駆逐隊はラバウルおよびショートランド泊地へ進出、12日附で外南洋部隊(指揮官三川軍一第八艦隊司令長官:旗艦「鳥海」)に編入。ガダルカナル島への駆逐艦輸送作戦(鼠輸送/東京急行)に従事する。9月12日、「潮」「漣」はガ島輸送を実施した。並行して奇襲隊指揮官(第三水雷戦隊司令官橋本信太郎少将)による「川内、敷波、吹雪、涼風」によるルンガ泊地掃討が実施されるが敵艦は存在せず、対地砲撃を実施したにとどまる。9月14日夜、「漣、潮、吹雪、涼風」はガ島ルンガ泊地に突入したが、目標としていた米艦艇の姿はなく、揚陸を実施して引き揚げた。 9月16日、第七駆逐隊司令小西要人大佐指揮下の駆逐艦3隻(潮、吹雪、涼風)は大発動艇を曳航してショートランド泊地を出撃、空襲を受けたが揚陸に成功した。9月19日夜、増援部隊指揮官(三水戦司令官)は駆逐艦4隻(漣、潮、敷波、夕立)に対し、水上機母艦「日進」から弾薬糧食の一部を移載し、ガ島へ揚陸するよう命じた。20日夕刻、米軍機の空襲で「敷波」が至近弾により若干の損傷を受けたが、揚陸は成功。21日、各艦はショートランド泊地へ戻った。 9月中旬、山本連合艦隊司令長官は鼠輸送(東京急行)に従事していた駆逐艦および部隊の交替を下令。9月23日以降、第四駆逐隊(嵐)、「陽炎」、第七駆逐隊、第十七駆逐隊(谷風、浦風、浜風、磯風)、第二十四駆逐隊(海風、江風、涼風)は外南洋部隊(第八艦隊)から除かれ、それぞれの原隊に復帰した。9月28日、トラック泊地に到着寸前の空母「大鷹」と第七駆逐隊(潮、曙)は米潜水艦「トラウト」に襲撃される。艦尾に被雷した「大鷹」は附近を航行中の「漣」に水路嚮導を依頼し、トラック泊地にたどりついた。以後、第七駆逐隊は1943年(昭和18年)末まで各方面の輸送任務や、特設航空母艦(大鷹、雲鷹、冲鷹)等の護衛任務に従事した。なお1943年9月から10月にかけて横須賀で修理を受けた際、二番砲塔の撤去や機銃の増備を行い、新たに仮称二号電波探信儀二型(22号電探)と電波探知機(電探)を装備している。この二番砲塔の撤去と機銃の増備改修は他の吹雪型の一部にも行われていた。また姉妹艦「朧」は1942年(昭和17年)10月17日に北方方面で爆撃を受け沈没した。
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