ガダルカナル島の戦い、沈没
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 06:02 UTC 版)
「大潮 (駆逐艦)」の記事における「ガダルカナル島の戦い、沈没」の解説
1943年(昭和18年)1月9日朝、大潮はラバウルを経由してショートランド泊地に到着。ガダルカナル島へのドラム缶輸送作戦(鼠輸送)に投入され、10-11日、駆逐艦8隻(大潮、荒潮、黒潮、巻波、江風、嵐、初風、時津風)でガ島への第六次輸送作戦を実施した。11日、大潮、荒潮、江風、巻波はニューギニア方面護衛部隊に編入され、ショートランド泊地を出発してラバウルへ向かった。22日、輸送船団を護衛しニュージョージア諸島(ニュージョージア島)ムンダへの輸送作戦を実施した。 詳細は「ケ号作戦」を参照 日本はガダルカナル島からの撤退を決め、2月に撤収作戦(ケ号作戦)を実施した。大潮は全3回(1日、4日、7日)にすべて出動し、成功させた(編制はケ号作戦参照)。20日、輸送船団護衛中にアドミラルティ諸島のマヌス島沖で米潜水艦アルバコアの雷撃を受けた。魚雷1本が右舷前部機械室付近に命中、航行不能となった。荒潮に曳航されてトラック泊地への避退を開始(20日17時時点の位置南緯00度55分 東経147度08分 / 南緯0.917度 東経147.133度 / -0.917; 147.133)。だが21日朝、曳航中に船体が中央部で断裂、大潮は沈没した。戦死者8名(士官1、下士官兵7)。荒潮は大潮乗員を収容してラバウルに帰投した。 4月1日、帝国駆逐艦籍から除籍された。同日附で第8駆逐隊も解隊した。艦名は海上自衛隊の潜水艦「おおしお」に引き継がれた。
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