第一夜戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 14:57 UTC 版)
11月12-13日、挺身艦隊とダニエル・J・キャラハン少将・ノーマン・スコット少将指揮下の米艦隊との間で夜間戦闘が発生した。戦闘直前、挺身艦隊は長良、比叡(旗艦)、霧島の縦陣を中心に、旗艦右舷側に第6駆逐隊(暁、雷、電)が航行し、旗艦左舷側に第十六駆逐隊(天津風、雪風)・第六十一駆逐隊(照月)が航行して団子状となっており、旗艦右前方に第二駆逐隊第二小隊(夕立、春雨)が先行し、旗艦右後方に第四水雷戦隊朝雲・第二駆逐隊第一小隊(村雨、五月雨)が航行していた。夕立の米艦隊発見報告から間もなく戦闘が始まり、比叡、暁が探照灯を照射した。混戦の中、比叡、霧島は他艦と共同して重巡洋艦サンフランシスコ (USS San Francisco, CA-38)と軽巡洋艦アトランタ(USS Atlanta, CL-51)を撃破した。だが、探照灯を使用した比叡は集中攻撃を受けサボ島周辺にて大破し、操舵不能状態となってしまった。 夜戦の混乱下で霧島は何本かの魚雷を回避し、米艦に対し砲撃しつつ、比叡と分離して北方に退避した。その後、危機に陥った比叡を曳航すべく、霧島は南下を開始した。当初朝雲が霧島に同行し、続いて霧島に合流した天津風は損傷のため長良と共に分離して北上した。ところが、霧島は米潜水艦の雷撃を受け魚雷1本が命中した。幸いにも不発であったが、前進部隊発令により救援を中止して北上した。15時25分、春雨も合同。曳航の見込みがなくなり、応急修理にも失敗し、アメリカ軍機の空襲を受け損傷の進んだ比叡は放棄され、13日夕刻に沈没した。金剛型戦艦初めての喪失艦であり、また太平洋戦争における日本軍初の喪失戦艦となった。
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