1941年 - 1942年11月までとは? わかりやすく解説

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1941年 - 1942年11月まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 23:21 UTC 版)

電 (吹雪型駆逐艦)」の記事における「1941年 - 1942年11月まで」の解説

電は12月4日から香港攻略戦参加次いで1942年昭和17年1月9日からはメナド攻略戦参加するが、1月20日ダバオ湾口付近特設運送船(給糧)仙台丸(日本水産472トン)と衝突し、翌21日工作艦明石横付け応急修理、さらに1月29日馬公市回航され、1月30日から2月17日まで馬公工作部修理実施した修理後高雄市回航され、2月21日重巡洋艦妙高護衛のため高雄市出撃3月1日スラバヤ沖海戦参加イギリス重巡洋艦エクセター魚雷放ち撃沈に至らしめている。このとき電では「沈みゆく敵艦敬礼」との艦内放送流れ乗組員らが甲板敬礼したという。直後エクセターから海に飛び込む水兵らが目撃され竹内艦長の「敵兵救助せよ」の命令により376名のイギリス兵を救助した間もなく日本向かい3月26日に呉に帰投4月3日横須賀回航4月15日あるいは23日から5月18日まで三菱横浜船渠修理ののち、横須賀でも5月20日まで修理が行われた。この5月20日北方部隊所属となったあと、先に整備修理終えた暁、響、後を追う形で5月22日横須賀出港して陸奥湾向かった。 「電」は重巡洋艦那智」、駆逐艦「雷」とともに北方部隊の主隊としてAL作戦西部アリューシャン攻略作戦)に参加した。主隊は5月29日川内湾を出港し6月2日幌筵島到着翌日同地出撃した。AL作戦ではアッツ島キスカ島占領が行われた。続いて「電」は6月25日から28日にかけて大湊からキスカ島への燃料弾薬輸送従事した7月5日駆逐艦子日」がアメリカ潜水艦トライトン」の雷撃撃沈された。救援おもむいた「電」は「子日」の生存者36名を収容、さらに撃ち込まれ魚雷3本回避したのち爆雷9個を投下して反撃した7月10日から15日の間は、キスカ島陸戦隊などを運んだ特設運送船あるぜんちな丸」をキスカ島から横須賀まで護衛した。 「電」は7月31日まで停泊ののち、7月5日アメリカ潜水艦グロウラー」の雷撃大破した救援中の「雷」から任務継承するため横須賀出港8月3日幌筵島片岡湾に到着し、「」の曳航「雷」から引き継いで8月5日出港8月9日石狩湾到着前日アメリカ艦隊キスカ島砲撃したことから「電」は加熊別湾への進出命じられ、「」の曳航特設運送船給油)「富士山丸」に引き継いだその後キスカ島移動し8月15日から20日にかけて「」と同じくグロウラー攻撃大破した不知火」を片岡湾まで曳航した。 ガダルカナル島の戦い緊迫化する伴って第六駆逐隊南方へ回ることとなり、8月28日機動部隊編入された。これに伴い、「電」、「暁」「雷」8月29日大湊出港して呉に向かった。 呉に回航後、電は瀬戸内海西部第二航空戦隊角田覚治少将)の空母飛鷹および隼鷹訓練実施した10月4日、電、磯波飛鷹隼鷹護衛して呉を出撃し、10月9日トラック到着ガダルカナル島の戦いに加わる。10月20日深夜空母飛鷹機関室火災発生して戦闘航海不可能となり旗艦任務および艦載機隼鷹移譲、電、磯波飛鷹護衛してトラック泊地向かった。また船団護衛任務従事した11月9日ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場砲撃に向かう挺身攻撃隊に属しトラック出撃挺身攻撃隊の戦力戦艦比叡霧島軽巡長良駆逐艦天津風雪風照月、暁、、電、朝雲《四水戦旗艦》、村雨五月雨夕立春雨時雨白露夕暮で、時雨白露夕暮ガ島ルッセル諸島警戒のため夜戦には参加していない。 詳細は「第三次ソロモン海戦」を参照 11月12日深夜11月13日未明ノーマン・スコット少将率いアメリカ海軍巡洋艦部隊重巡2、軽巡3、駆逐艦8)との間に第三次ソロモン海戦(十二第一夜戦)が生起。本夜戦において第6駆逐隊から姉妹艦の暁が沈没大破三番艦として行動していた電は弾片で魚雷発射管動力電路切断という軽微な損害受けたこのあと霧島朝雲春雨、電の一群となって戦場離脱した。電は魚雷6本と主砲54発を発射。残魚雷11本、主砲残弾846発。雷撃により防空巡洋艦1轟沈砲撃により防空巡洋艦1中破巡洋艦1小破という戦果報告した一連の夜戦で暁以外に比叡夕立沈没天津風中破している。電幹部探照灯照射した旗艦比叡集中砲撃受けて航行不能(のち自沈)したことを踏まえ従来夜戦戦術に対して再考要す』と提言している。 一旦ガダルカナル島海域離脱したのち前進部隊指揮官近藤信竹第二艦隊司令長官旗艦愛宕)と合流した霧島、電等は、燃料補給受けたのち重巡愛宕および近藤長官直率下で再びガ島ルンガ泊地突入ガ島飛行場砲撃を行うことになったガ島砲撃隊の編制は、射撃隊(砲撃隊《愛宕高雄霧島》、四戦隊直衛《長良、電、五月雨》、霧島直衛《朝雲白雪初雪照月》)・掃討隊(川内三水戦旗艦》、敷波浦波綾波)に区分され戦艦1重巡2・軽巡2・駆逐艦9であった11月14日深夜ウィリス・A・リー少将率い戦艦ワシントンサウスダコタ駆逐艦4隻が近藤艦隊迎撃し、第三次ソロモン海戦(十四日第二夜戦)となる。第十戦隊司令官指揮下の「長良五月雨、電、白雪初雪」はサボ島西方通過して南方進出、『敵巡洋艦1・駆逐艦3』(のちに戦艦2隻と報告)に対し雷撃戦を敢行した。この時、電は魚雷4本を発射。米駆逐艦応戦し魚雷2本が電の艦底通過している。魚雷発射後、十戦隊部隊サボ島北西避退しつつ魚雷の次発装填を行ったその後白雪初雪、電、五月雨は米新型戦艦雷撃戦を敢行し、初雪魚雷3本・電が5本・五月雨が5本を発射するも、ワシントンサウスダコタ被害はなかった。14日夜戦で電は魚雷合計9本、主砲81発、13mm機銃400発射雷撃で大巡1撃沈砲撃で大巡1中破報告しているが、実際戦果不明アメリカ軍駆逐艦3喪失、1隻大破)。 それ以上戦闘生起せず、沈没した霧島綾波を除く近藤艦隊戦場離脱、電は前進部隊と共に11月18日トラック帰投した。しかし、2日後11月20日にはトラック出港してラバウル進出し東部ニューギニアへの輸送作戦従事することとなった

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