戦没の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/17 01:24 UTC 版)
「暁 (吹雪型駆逐艦)」の記事における「戦没の状況」の解説
戦没の状況については諸説ある。僚艦も「暁」の行方がわからず、第十戦隊旗艦長良からの問い合わせに対し、「電」(艦長寺内正道少佐)は『状況不明ナルモ戦闘開始直後沈没セルモノノ如シ』と応答した。より詳しく報告した「雷」(艦長前田実穂少佐)も『暁2330頃本艦次デ比叡ノ艦首ヲ右ヨリ横過セルヲ認メタルモ海戦前後ノ状況不明』という認識であった。 まず、生還した水雷長・新屋徳治中尉(海兵68期)の証言に基づく著作によると次のとおりである。 1942年11月13日、暁は戦艦護衛の任務につき日本艦隊の先頭に位置していた。開戦前に米艦隊の前衛駆逐艦とすれ違ったが双方とも砲撃は行われなかった。午前1時50分、第三次ソロモン海戦・第一夜戦の劈頭、暁の探照灯が右舷前方にいたアメリカ艦隊の軽巡洋艦アトランタを照射した。艦首右にいた駆逐艦から発砲され、一瞬にして航行不能に陥った。艦橋内では、山田勇助司令、高須賀駆逐艦長、航海長、新屋水雷長などの僅かな士官は生存していたが、砲術長とその部下全員、新屋水雷長の部下全員などが戦死し、操舵装置も破壊された。新屋は艦後部の予備操舵装置を作動させようと混乱した艦内を進んだが、火災のため近づくことが不可能であった。暁は制御を失い漂流し、ついに右に傾き転覆沈没した。砲撃を受けてから15分ほど後のことであった。新屋は艦橋から海に飛び込み、朝には周りに30名から40名ほどの乗組員が生存していたが、アメリカ軍の上陸用船艇に救助され捕虜となったのは、僅かに18名であった。特III型としても、第六駆逐隊としても、最初の犠牲艦となった。 他にも新屋中尉は雑誌「丸」にて戦記を書いており、当時の被弾前後の状況として「探照灯が照射され、(暁の)初弾が発射されるかと思ったその途端、敵の先制攻撃を受けた」「後から振り返かえって強く印象にあるのは、双方の艦艇の中で最初に被弾したのが暁ではなかったか、という事実である」と綴っている。事実、軽巡洋艦「アトランタ」の戦闘詳報によれば海戦の冒頭で北方から探照灯照射を受けて前部砲塔から20発の応射を行ったことが記されていた。しかし、1992年の潜水調査の折、スコット艦隊の作戦幕僚で大尉として同艦に乗船していたスチュアート・モアドック教授と暁の水雷長であった新屋徳治牧師が潜水調査船に乗り合わせており、両者の証言から「暁」が「アトランタ」に探照灯照射を行ったことが一致した。ここで新屋は「私はあなた(アトランタ)と他の巡洋艦から被弾があったと考えています」と話したが、モアドックは「暁に砲を向けたが、すぐに(暁のいた)右舷から左舷に砲を向けて別の艦を砲撃しました。砲撃したのは別の船です」と話し新屋もこれを認めた。 また、高松宮宣仁親王による『高松宮日記』第5巻には、暁生存者である中津留達雄少尉(海兵70期)からの証言として「一三日〇〇〇〇頃、右前方『ルンガ』沖に敵大巡らしき艦影を認め之と交戦。初弾発砲と同時に数発の命中弾を受け、機械・舵故障。射撃装置破壊、砲側照準にて射撃継続せしも、再度左舷中部に命中弾を受け大火災、数秒後左に傾斜、沈没せり」という記事がある。中津留少尉は暁の沈没地点からガダルカナル島まで泳ぎ切り日本側に救助された。中津留が漂着する様子や新屋が米側に救助される様子は「アトランタ」艦長が目撃し同艦の戦闘詳報にも記されている。 暁・雷の後方に続いていた当時の電駆逐艦長寺内正道少佐は、戦闘直後は暁が「赤い腹を出してまさに転覆しようとしているところ」を目撃している。「暁」と反対側に位置していた陽炎型9番艦「天津風」駆逐艦長原為一中佐によれば、暁はアメリカ艦隊の隊列に突入した刹那、「どす黒い火焔と共に一瞬にして姿を消してしまった」。木俣によると、軽巡洋艦ヘレナ (USS Helena, CL-50) と駆逐艦アーロン・ワード (USS Aaron Ward, DD-483) 、あるいは重巡洋艦サンフランシスコ (USS San Francisco, CA-38) と駆逐艦オバノン (USS O'Bannon, DD-450) の反撃により機関室に命中弾を受け蒸気が噴出し、発生した火災が火薬庫に引火して爆発、沈没したと推定している。 一方、具体的な戦果について正確に判別するのは難しいが、日米の一部の文献では、「海戦で『アトランタ』を照射した上で致命傷の魚雷2本を命中させた」、「駆逐艦『ステレット』 (USS Sterett, DD-407) の艦尾にも命中弾を与えた」等の推測がなされている。 暁の18名ないし20名の生存者は捕虜となってニュージーランドに後送されたが、1943年(昭和18年)2月25日に発生したフェザーストン事件に巻き込まれた者もおり、戦争終結後は9名しか復員しなかった。
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