戦没者の遺骨帰還事業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 23:01 UTC 版)
「硫黄島 (東京都)」の記事における「戦没者の遺骨帰還事業」の解説
「硫黄島の戦い#遺骨収容・帰還作業」も参照 現在も島の地下には、硫黄島の戦いによる日本人戦没者の1万3千柱を超える戦死者の遺骨が残っている。 本土へ帰還した遺骨は現時点で約8千柱であるが、今後の収集事業には予算確保の問題と作業員人員確保の問題、埋葬地等の特定作業、既述した通り無数に埋まる不発弾への対処、噴出する高温・有毒な硫黄ガスへの対処等で、その収容作業は大きな困難を伴うことが課題となっている。 これまで遺骨を本土へ帰還させるための収容作業は、主に硫黄島協会や戦没者遺族等のNPO法人やボランティア等の手で行われていたが、2010年度(平成22年度)国家予算では滑走路下部分の遺骨収容のための予算が初めて1億円を超えて計上され、2010年8月10日には菅直人首相の指示により、政府による「硫黄島からの遺骨帰還のための特命チーム」が設置された。今後はこれまでの遺族、関係者の証言等に加え、米国での資料調査により情報収集を行い、収容作業におけるNPO法人やボランティアからの協力の拡充、自衛隊との協力体制の拡充をし、自衛隊基地施設下をも含む全島における面的調査を強化することとしている。遺族者等の慰霊等のための渡航機会の拡充、インターネット等を活用した遺留品の公開を実施して戦争の悲惨さを広く知らしめるとともに、将来は硫黄島以外の戦域での遺骨帰還作業実施も予定されている。 一方、硫黄島で戦死した米軍兵の遺体の大半は、硫黄島の戦い後暫くは摺鉢山山麓を中心に墓地を造成し、柩一台一台の上に十字架を立てて手厚く埋葬されたが、現在は全てが米国本土のアーリントン国立墓地へと帰還を果たしている。 アメリカ映画『硫黄島からの手紙』の冒頭シーンは、アメリカ国防総省から防衛庁(当時)を通して、東京都の特別許可によって、島内でのロケ撮影が1日だけ行われた。 厚生労働省の発表(2017年3月31日時点)によれば、戦没者概数を約21,900人とし、送還した遺骨は10,400柱、未送還の遺骨は推計で11,500柱としている。2015年度には 23柱、2016年度には17柱の遺骨が収容された。
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