戦没者、戦争墓地、戦争捕虜墓地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/04 08:59 UTC 版)
「ドイツ戦争墓地維持国民同盟」の記事における「戦没者、戦争墓地、戦争捕虜墓地」の解説
46カ国と相互協定を結び、ドイツ国内にある外国人の戦争墓地に関する照会に応じている。 「国外」の戦争墓地の新設、修繕、維持管理は、ドイツ連邦政府の委託を受けて、墓地維持管理及び営繕担当者によって行われている。2010年には、第一次世界大戦と第二次世界大戦の330か所の戦争墓地、また1870年–1871年の普仏戦争の800か所以上の墓所や記念碑が修繕された。 ベルリンに所在するドイチェ・ディーンストシュテレ(ドイツ語版)(旧:戦争損害及び戦争捕虜のためのドイツ国防軍調査所 – WASt)と協力して、またその記録の調査も行っている。この部局では、第二次世界大戦に動員された兵士のデータと認識番号を管理している。国民同盟はこの他の捜索機関とも連携している。例えばドイツ赤十字社の行方不明者捜索機関(ドイツ語版)である。国民連盟はこれらの機関に改葬記録をさらなる身元確認のため(例えば認識票を手掛かりとする)、または書類の更新のために提供している。 改葬事業は、東ヨーロッパ、ドイツ、西ヨーロッパで、戦没者を点在する埋葬地点から別の場所の墓地に集約して改葬する。1991年以降、国民連盟は79万6,053人の戦没者を82か所の戦争墓地に改葬している。2013年だけでも3万6,943件の改葬が行われた。戦没者が発見されるのは、WASt、当時を知る者の証言、参戦者が撮影した当時の埋葬地の写真がきっかけとなるが、時として偶然に建設工事や道路工事で発見されることがある。行方不明者の氏名は、例えばロソシュカ・ドイツ戦争墓地(ドイツ語版)では、大きなサイコロ状の花崗岩に遺族のために、そして後世のために刻まれている。 身元不明の戦没者を後に身元確認するために、改葬事業では改装台帳に発見場所、認識票(現存している場合)、残存衣服、遺品、身長、骨格の特徴、歯型が記録される。 推定6,200か所の戦争捕虜墓地の内、180か所が再建されている(2011年時点)。戦争捕虜墓地の全てが必ずしも保存されなくとも、選ばれた施設で収容中に死亡した戦争捕虜を追悼している。 セーアイス(ドイツ語版)にある1904年のヘレロ戦争でのドイツ戦死者墓地(ナミビア) 第二次世界大戦中に「英雄墓地 (Heldenfriedhof)」を造営するドイツ兵 クレタ島マレメ(ドイツ語版)にあるドイツ軍人墓地(ドイツ語版)の造営(1973年、ギリシア) チェルニャホフスクにあるドイツ軍人墓地(ドイツ語版)で埋葬前の共同墓穴(ロシア) ベルガイム(ドイツ語版)の軍人墓地(フランス) ブライテンバッハ=オー=ラン(ドイツ語版)の軍人墓地(フランス) ティラナのドイツ軍人墓地(アルバニア) VDKが維持管理するロヴァニエミ/ノルヴァイェルヴィ(英語版)のドイツ軍人墓地(フィンランド) ディオニュソス(英語版)にあるドイツ軍人墓地の入り口にある銘版(ギリシア) コステルマーノのドイツ軍人墓地の入り口(イタリア) アルアン(ドイツ語版)のドイツ軍人墓地(フランス) プシェムィシルのドイツ軍人墓地(ポーランド)
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