戦没者記念堂(Ehrenhalle)
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「ナチ党党大会会場」の記事における「戦没者記念堂(Ehrenhalle)」の解説
戦没者記念堂は、ドイツの建築家フリッツ・メイヤーが設計を手掛け、ニュルンベルク市によって建設された。落成はヴァイマル時代の1930年で、ナチス政権時代よりも前である。 これはアーケード・ホールで、火鉢用の2列の台座がある石畳のテラスに隣接している。14の台座は全て実質的に無傷のままで、1938年9月の最後のナチ党集会以来、点火されていない。元々はこの戦没者記念堂は、第一次世界大戦で戦死した、ニュルンベルクの9,855人の兵士のためのものだった。 1929年の党大会で、戦没者記念堂は国家社会主義者により、初めて死者崇拝の目的に使用された。第三帝国時代、ナチスは第一次世界大戦で戦死した兵士の記念堂という目的のほかに、1923年11月9日のミュンヘン一揆で犠牲となった16人の死者の記念としてもこの建物を使用した。 1934年の党大会で、ヒトラーは親衛隊リーダーのハインリヒ・ヒムラー及び突撃隊リーダーのヴィクトール・ルッツェを伴って、主観覧席から戦没者記念堂のテラスまで、240メートルの花崗岩の道を歩き、ナチス式敬礼を行った。儀式のクライマックスであった。
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