1942年前半とは? わかりやすく解説

1942年前半

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/16 16:21 UTC 版)

ノーザンプトン (重巡洋艦)」の記事における「1942年前半」の解説

1942年に入ると、アメリカ海軍無傷だった空母群を最大限活用して日本側に手痛い反撃与えよう活発に動き始めた。この攻撃成功すると、日本の南作戦スピード幾分弱まりアメリカ士気いくらか上がる予想された。また日本軍ハワイ攻略フィジー攻略を防ぐ意味もあった。1月下旬大西洋からやってきた空母ヨークタウン (USS Yorktown, CV-5) を基幹とする第17任務部隊英語版)(フランク・J・フレッチャー少将)と、エンタープライズ以下の第8任務部隊合流した空母機動部隊サモアへの輸送船団護衛行った後、マーシャル・ギルバート諸島機動空襲作戦開始した。第8任務部隊強力な敵が待ち構えていると考えられクェゼリン環礁マロエラップ環礁向かい、第17任務部隊ブタリタリジャルート環礁ミリ環礁への攻撃向かった。第8任務部隊目標手前3つ分かれノーザンプトンソルトレイクシティ (USS Salt Lake City, CA-25) と駆逐艦ダンラップ (USS Dunlap, DD-384) とともにスプルーアンス少将率いられウォッジェ環礁向かった日本軍は「1月12日伊6空母レキシントン撃沈した。」と誤認して大本営発表をおこなっており、アメリカ軍機動部隊は当分行動しない判断して油断していた。 2月1日朝、スプルーアンス少将別働隊3隻(ノーザンプトンソルトレイクシティ、ダンラップ)は、日本海軍南洋部隊の第53警備隊守備するウォッジェ環礁接近した環礁内に商船発見して砲撃加え大した敵もいないと思われたため砲撃最初のうちは順調に行われた空襲砲撃により、第十昭南丸と鹿島丸(第64駆潜隊)を撃沈特設砲艦豊津丸と第十一昭南丸を撃破した。しかし、ノーザンプトン潜望鏡のようなものを発見したことにより隊列乱れ始めた。しかも、スプルーアンス以外の幕僚は「我々は潜水艦包囲されている」と錯覚する始末であった砲撃次第滅茶苦茶となり反撃予想されたため、スプルーアンスは2時間弱で砲撃切り上げハルゼー本隊合流し即座に引揚げたスプルーアンスは、一連の攻撃成果芳しくなかった評価した。それでも太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ大将戦いぶり評価しハルゼー提督英雄として扱われた。またスプルーアンス海軍功労章授与された。 空母群による奇襲作戦2月下旬にも実施された。2月14日エンタープライズ基幹とする新編成第16任務部隊ウェーク島打撃与えるため、ハルゼー率いられ真珠湾出撃した。第16任務部隊空母部隊空母エンタープライズ駆逐艦部隊)、スプルーアンス少将砲撃隊(重巡ノーザンプトンソルトレイクシティ駆逐艦バルチ、マウリー)およびタンカー1隻で構成されていた。2月24日黎明待って砲撃隊はウェーク島対す艦砲射撃おこなったウェーク島守備隊(第66警備隊)はアメリカ巡洋艦部隊艦砲射撃について「発射速度遅く散布界大きく不発弾多く技量よくなかった」と評している。砲台反撃駆逐艦1隻が火災おこした射撃砲撃開始から約30分後に、予定より遅れてエンタープライズ艦上機到着して空襲開始した。1機が墜落し搭乗員2名は捕虜となったノーザンプトン達が砲撃中に、3機の日本軍水上機反撃してきた。ノーザンプトン爆撃したが、爆弾逸れて命中しなかった。偵3機も無傷だった。またノーザンプトン同行していた駆逐艦が、日本軍監視艇2隻を撃沈した第16任務部隊はさらに南鳥島向かい3月4日攻撃実施した3月10日第16任務部隊真珠湾帰投した。 2月3月攻撃は、南方作戦そのものには大した動揺与えなかったが、連合艦隊司令長官山本五十六大将神経質にさせるには十分であった4月8日日本時間9日)、エンタープライズ重巡2隻(ノーザンプトンソルトレイクシティ)を基幹とする第16任務部隊は再び出撃した。4月13日空母ホーネット (USS Hornet, CV-8) を主戦力とする第17任務部隊合流し太平洋横断する4月18日ホーネット発進したB-25爆撃機日本列島各地爆撃した4月25日第16任務部隊真珠湾帰投した。補給後の4月30日第16任務部隊日本軍ソロモン諸島方面進撃封じるべく南西太平洋へ向かったが、到着したはちょう珊瑚海海戦終わったあとであり、第16任務部隊成果なく帰投して5月26日真珠湾戻った5月28日日本時間5月29日)、アメリカ軍機動部隊空母2隻〈エンタープライズホーネット〉、重巡5隻〈ノーザンプトンペンサコーラミネアポリスニューオーリンズ、ヴィンセンス〉、軽巡アトランタ駆逐艦9、補給部隊)はミッドウェー島来襲予想される日本艦隊迎え撃つため真珠湾出撃した。ハルゼー皮膚病入院したため、第16任務部隊指揮ハルゼー指名によりスプルーアンス委ねられ、その点だけが従前とは異なっていた。珊瑚海海戦損傷急遽修理したヨークタウン護衛艦艇が追いかけてきて6月2日合流しフレッチャー提督旗艦ヨークタウン)が第16任務部隊と第17任務部隊まとめて指揮したミッドウェー海戦ノーザンプトンは特に損害受けず6月13日真珠湾帰投した。

※この「1942年前半」の解説は、「ノーザンプトン (重巡洋艦)」の解説の一部です。
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