発達史とは? わかりやすく解説

発達史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 19:15 UTC 版)

潜水艦」の記事における「発達史」の解説

黎明期 近代以前構想または建造され潜水艦は以下のようなものがある。 当初攻撃には、目標の下を通り抜けて浮上して曳航式の機雷をぶつける、もしくは長い棒の先に外装水雷付けてぶつける方法考えられた。しかし、これらの方法は敵に接近する必要があることから危険性高く爆発時の衝撃潜水艦にもダメージ与え移動中の目標には使えない方法であった1614年大坂冬の陣において、徳川方九鬼水軍が盲船と呼ばれる船を使用したという記述があり、いくつかの文献[要出典]がこの船を潜水艦であることを示している。これらの文献によれば大坂城の堀を潜ったまま移動し、城を構成する建築物に対して浮上したうえで砲撃行ったとされる。しかし、その後九鬼氏内部争い理由江戸幕府領地奪われるなどして衰退し水軍失ったため、江戸幕府がこの盲船を使用することはなかった。 1620年オランダ人コルネリウス・ドレベルイギリス海軍向けに発明した潜水艇(かい)による人力推進実戦投入はされなかった。 1776年デヴィッド・ブッシュネル開発したタートル潜水艇登場実際に建造され実戦投入された最初潜水艇本艦卵形船体乗員数は一人人力駆動螺旋推進装置装備しており、アメリカ独立戦争時に米国使用したが、敵艦撃沈には至らなかった。 1864年アメリカ南北戦争で、南軍人力推進型のハンリー潜水艇投入2月17日夜にサウスカロライナ州チャールストン港外で、同港を封鎖中の北軍木造蒸気帆船「フーサトニック」を外装水雷により撃沈史上初となる潜水艇による敵艦撃沈記録であった。しかしハンリー潜水艇近距離爆圧を受け沈没乗員死亡した。 なお、当時潜水艇敵味方双方から卑怯な兵器みなされていた。潜水艇デイヴィッド」に襲撃され装甲艦「ニューアイアンサイズ」の艦長は、同艦を襲撃時に捕虜になったデイヴィット艇長を「文明国認められていない兵器用いた罪で」裁判にかけて絞首刑にすると脅した最初動力非人力)潜水艦である、フランス海軍の「プロンジュール」が潜水試験成功。12.5バール加圧され圧縮空気タンク貯蔵し、これを利用するレシプロ式空気エンジン推進したエンジン80馬力発揮し、4ノット速度で5海里(9 km)の航続距離があった。最大潜行深度は10mで、武装衝角電気発火式の外装水雷であった1866年イギリス技術士官ロバート・ホワイトヘッド(英語版)によって史上初めての魚雷であるホワイトヘッド魚雷開発された。 1867年カタロニアナルシス・ムントリオルスペイン海軍援助受けて潜水艦イクティネオII」を非大気依存推進させることに成功した1870年ジュール・ヴェルヌ架空潜水艦ノーチラス号」の登場する小説『海底二万里』発表沿岸航行せいぜいだった当時外海自由に航行できる航洋潜水艦描かれている。 1888年電気モーター推進する最初潜水艦である、フランス海軍の「ジムノート」が完成1888年オスマン帝国海軍の「アブデュルハミト」が、水中からの魚雷発射により停泊中の艦艇攻撃成功1898年フランス海軍の「ギュスターヴ・ゼデ」が、航行中水上艦艇対す魚雷攻撃演習成功最初近代潜水艦 1900年近代潜水艦の父と呼ばれた造船技師ジョン・フィリップ・ホランドによって設計され潜水艦ホーランド号(水中排水量74t)がアメリカ海軍就役した。ホーランド号は主機ガソリンエンジン電動機直結方式であり、内燃機関によって推進する近代潜水艦元祖であった1910年代ロシア皮切りにドイツなどで機雷敷設型潜水艦建造され秘密裏機雷敷設任務が行われることを期待された。 第一次世界大戦期 ホーランド号の就役以降世界各国潜水艦注目されるようになり、列強海軍こぞって潜水艦建造着手した初期潜水艦ガソリンエンジン主流であったが、まもなくディーゼルエンジン代替された。当時潜水艦は、排水量100-1,000t、水上速力10kt、最大潜航深度100m程度であった潜水艦本格的活躍第一次世界大戦からとなる。逸早く潜水艦を有効利用したのはドイツ帝国であったUボート呼ばれたドイツ潜水艦は、開戦直後1914年9月、独海軍潜水艦潜水艦魚雷沈められ偵察巡洋艦パスファインダー皮切りに巡洋艦4隻を撃沈したのを始め次々と英国軍艦・貨客船無差別に撃沈する無制限潜水艦作戦行い通商破壊活躍した英国商船隊大打撃を受け、英国経済瀕死追い込んだ。これに対して1915年6月23日連合国側は、偽装Qシップによって釣りだされた潜水艦だまし討ちようとした。しかし、これらの効果芳しくなかった1915年7月ルシタニア号撃沈により米国人多数巻き添えとなる事件発生した。これにより、当時中立国であった米国の参戦恐れたドイツ皇帝無制限潜水艦作戦攻撃する際の条件厳し要求突きつけ1915年9月以降英国船舶への攻撃消極的になり、その戦果減少したルシタニア号によって多数武器輸送されていたが、イギリスアメリカ工作隠蔽され、さらに悲劇的大々的扱われアメリカ開戦理由ともなったその後ドイツ帝国戦局挽回のため1917年無制限潜水艦戦再開し、独海軍潜水艦隊一時的に大戦果を上げた。しかし、英国護送船団採用すると、戦果激減したさらには商船への無差別攻撃米国の参戦招き第一次世界大戦敗北一因となった第一次世界大戦では、ドイツ帝国海軍381隻の潜水艦就役させ、その内178隻を喪失したが、終戦までに約5,300隻・1,300トンに及ぶ艦船撃沈する戦果上げ大西洋Uボート世界にその名を轟かせたのであった戦間期 第一次世界大戦におけるUボート活躍により潜水艦有効性立証され各国本格的な潜水艦隊運用乗り出した1930年ロンドン海軍軍縮会議各国潜水艦保有排水量制限された。 第二次世界大戦 第二次世界大戦では、各国潜水艦通商破壊だけでなく戦艦空母を含む戦闘艦撃沈成果上げて威力発揮したドイツ開戦当初から潜水艦活用して無制限潜水艦作戦行った第一次世界大戦では単独での運用が行われていたが、潜水艦集団護送船団追い詰める群狼作戦ドイツ語:Rudeltaktik)を行った。しかし、アメリカ側同じく群狼作戦採用し物量レーダー無線機用いて大西洋太平洋席巻した。 連合国側は、潜水艦に対して空母搭載した偵察機サーチライト磁気センサソノブイ潜水艦探し出していた。 なお、この頃までは対水中攻撃使える精度が高いホーミング魚雷本格的に導入されていなかったため、水中3次元的に移動する潜水艦同士戦闘は困難であった潜水艦潜水艦撃沈した例としては、1945年2月に、ノルウェーベルゲン沖で英潜水艦ヴェンチャラー」が、潜望鏡深度航行中の独潜水艦U-864をソナー探知数度シュノーケル潜望鏡目視したのちソナー追撃して雷撃し、撃沈した例、1943年11月第三次遣独潜水艦作戦帰途についていた伊三十四ペナン島沖で洋上航行中に英潜水艦トーラス」に撃沈された例がある。 また、双方による攻撃が行われた例としては、 1943年7月にステフェン海峡英語版)で行われた潜水艦スキャンプ」と日本の伊号百六十八との間で行われた戦闘がある。 しかしいずれも撃沈された潜水艦洋上またはそれに近い深度での航行中であり、現代において一般にイメージされる潜水艦同士戦闘とは異なる。 イギリス 自国商船部隊壊滅寸前にまで追い込まれイギリスは、ヴェルサイユ条約ドイツ対し潜水艦保有禁止させ、 また新型対潜兵器開発などに注力ようとしたが、財政難による軍事費削減影響で、戦間期において対潜作戦技術停滞していた。 ドイツ国 ヴェルサイユ条約により潜水艦保有禁じられドイツであったが、1935年再軍備宣言英独海軍協定英語版ドイツ語版締結以後建造再開する第二次世界大戦開始時、ドイツ海軍再建途中であった。そのため、完成時間が掛かる水上戦闘艦艇の建造後回しにして潜水艦量産注力し、Uボート部隊は前大戦同様に対英通商破壊投入された。第二次世界大戦でのUボート主力は、UボートVII型UボートIX型である。 当初英国貨客船多数撃沈したが、後に連合国軍新型対潜兵器護衛艦対潜哨戒機多数投入するうになると、逆にUボート側が多数撃沈されるようになった。 これに対し、独側もUボート性能向上を図りシュノーケルヴァルター機関などの新技術開発や、奇跡Uボート呼ばれたUボートXXI型大戦末期投入したが、戦況挽回には至らなかった。 大日本帝国 大日本帝国海軍潜水艦艦隊決戦における敵艦攻撃用投入することを意図し海大潜水艦巡洋潜水艦の二系列中心に建造した巡洋潜水艦水上機搭載したのが特徴で、航続力索敵力に優れた偵察型であった対して海大型は、水上速力雷撃力に優れた攻撃型であった伊四百型潜水艦第二次世界大戦就役した潜水艦最大であった速度重視して夜間の奇襲繰り返すゲリラ戦疲弊させる追躡接触反復攻撃を行うつもりであったが、演習時点からうまいかないことが分かっていた。そして、太平洋戦争では、開戦前想定されていた艦隊決戦起こらず目立った活躍はなかった。 インド洋での通商破壊や、南方への輸送任務などに投入されたが、米海軍艦艇優秀な対潜兵器前に多く撃沈されていった隠密性を生かして伊号第十七潜水艦アメリカ本土砲撃行い艦載機搭載した潜水空母となった伊号第二十五潜水艦アメリカ本土空襲を行う作戦行ったアメリカ合衆国 アメリカ海軍ドイツ同様、潜水艦対日通商破壊投入した。米潜水艦高性能レーダーソナーなどにより、電子兵装の劣る日本艦船次々と撃沈していった。米潜水艦活躍により日本商船隊壊滅させられ対日戦勝利大きく貢献した第二次世界大戦後 1955年完成した米海軍の「ノーチラス」(水上排水量3,180t)は、原子炉蒸気タービン採用した史上初の原子力潜水艦であった本艦水中速力20ノット潜航可能時間は3ヶ月前後であった原子力主機登場により、潜水艦水中速力水中航続力大きく増大した。それにより、潜水艦戦闘能力飛躍的な向上を遂げた原子力潜水艦大型水上艦艇撃沈した例は、1982年フォークランド紛争時に英海軍の「コンカラー」がアルゼンチン海軍巡洋艦ヘネラル・ベルグラーノ」を雷撃にて撃沈した事例最初である。「コンカラー」は「ヘネラル・ベルグラーノ」を24時間以上追跡したが、全く探知されなかった。この戦いにより、それまで水上艦対し圧倒的に不利と思われていた原潜有効性証明された。逆にイギリス潜水艦たった一隻最後まで撃沈出来なかったため、アルゼンチン海軍作戦縮小余儀なくされた。 1991年1月湾岸戦争アメリカの原子力潜水艦ルイビル潜水艦から発射する潜水艦発射巡航ミサイル英語版)のトマホーク実戦使用した映画シミュレーションゲーム等において潜航中の潜水艦同士戦闘描かれる場合があるが、第二次世界大戦以降において潜水艦保有する同士洋上武力衝突自体があまり発生していないため、潜水艦同士本格的な戦闘現在に至るまで発生していないとされる

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発達史

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軍隊」の記事における「発達史」の解説

軍隊形態は、その時代と国によって細部異なるために一概に言えないが、ここでは西欧日本における軍隊の発達史を概観する

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発達史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 07:42 UTC 版)

アウトリガーカヌー」の記事における「発達史」の解説

Heine-Geldern(1932)やHornell(1943のような初期の研究者は、ダブル・カヌーカタマラン)はアウトリガーカヌーから進化した考えていたが、Doran1981)やMahdi1988のようなオーストロネシア文化専門とする現代の研究者はそれは逆だ考えている。 二つカヌー結合したダブルカヌーは、2つ丸太結合して作るミニマル」なイカダから直接開発されたとする時間が経つにつれて、この単純なダブルカヌー非対称ダブルカヌー発展し一方船体がもう一方船体よりも小さくなるここからさらに小さくなった船体プロトタイプアウトリガーになり、アウトリガカヌーが生まれた。さらにこれがオセアニアリバーシブル前後を入替可能、つまりアウトリガーを右にも左にもできる)なシングルアウトリガーカヌーに進化した最後に、シングルアウトリガーがダブルアウトリガーカヌー(または三胴船)に発展したとする。 これはまた、海域東南アジアマダガスカルコモロといった故地オーストロネシア人が、タッキング時(帆走中に風上方向航行するための間切る操作)の安定性重視して、ダブルアウトリガーを好む傾向がある理由説明できる。しかし東南アジアでも、多数派ではなくともシングルアウトリガーが使用されている地域はある。対照的にミクロネシアポリネシアのような遠隔地拡散した子孫集団は、ダブルアウトリガーの技術そこまで発達せず、ダブルカヌーとシングルアウトリガーカヌーを使い続けた距離的に東南アジアに近い西メラネシア例外)。アウトリガータック時に風下向いたときの不安定性対処するために、彼らはリバーシブルシングルアウトリガーを使うことで、風向きあわせて船の前後アウトリガー左右)を入れ替えることで対処するというシャンティング(shunting)を編み出した。 以上のような考え方一つ推論であり、決定的な証拠があるわけではない。もともとカヌー実用品かつ消耗品であり、劣化して最後木材として活用可能なことから、考古学的な意味での証拠がほぼ残らない。せめて絵が残っていればよいのだが、絵は平面であるため、片舷から描かれた絵を見てもそれがシングルアウトリガーなのかダブルアウトリガーなのか分からないといった資料限界がある。

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