インド洋での通商破壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 17:45 UTC 版)
「愛国丸 (特設巡洋艦)」の記事における「インド洋での通商破壊」の解説
「インド洋における日本軍仮装巡洋艦の行動 」も参照 3月20日付で報国丸とともに第六艦隊の指揮下に入る。南太平洋での通商破壊の戦訓から、今次作戦より拿捕した船舶の回航班を乗せることになった。洋上での潜水艦への補給訓練を実施したのち、4月12日に瀬戸内海を出撃してペナンに向かう。4月25日に到着した。4月30日、報国丸およびインド洋で通商破壊を行う第8潜水戦隊甲先遣隊(伊30を除く)とともにペナンを出撃。5月5日、10日、15日に甲先遣隊に給油を行った後、甲先遣隊と別れた。9日、マダガスカル島の東方海上で報国丸がオランダの油槽船ヘノタ(もしくはゼノタと表記) (Genota、7,986トン)を発見して威嚇射撃をおこなう。停船させたあと愛国丸よりカッターボートを降ろしてヘノタに臨検隊を送り込み、捕獲した。 6月5日には英客船エリシア (Elysia、6,757トン) を発見し、報国丸の魚雷で撃破。6月17日、甲先遣隊との会合点に到着し、燃料と食糧の補給を行った。補給を受けた艦のうち、伊16と伊20は5月29日にディエゴ・スアレス攻撃を終えた後であり、伊30は第一次訪独潜水艦としてロリアンに向かった。7月12日、南緯17度36分 東経80度27分 / 南緯17.600度 東経80.450度 / -17.600; 80.450の地点でニュージーランドの貨物船ハウラキ (Hauraki 7,113トン) を発見。軍艦旗を翻し、報国丸の威嚇射撃で停船させた後に拿捕し、ペナンに回航させた。通商破壊戦の他にココス島攻撃も計画されていたが、イギリス海軍がハウラキ奪還を豪語して警戒が厳しくなるのを察知し、作戦は中止となった。作戦終了後は7月26日にペナンに帰投し、昭南に回航されて整備を行った。 8月25日、大石保中佐(海兵48期)が愛国丸艦長に任命された。同日付で今里博大佐(海兵45期)が報国丸艦長に任命される。愛国丸艦長の大保中佐/大佐より先任であった。愛国丸は報国丸の指揮下で行動する。 整備後、報国丸および特設巡洋艦清澄丸(国際汽船、8,613トン)とともに、ガダルカナル島の戦いに投入される第三十八師団(佐野忠義中将)をメダンからラバウルへ輸送した。一連の日本陸軍兵力輸送を「沖輸送」と称する。9月19日付で3隻(愛国丸、報国丸、清澄丸)は連合艦隊主隊に編入された。9月23日、3隻はスマトラ島で人員と機材を搭載し、翌日出発した。愛国丸はシンガポールに立ち寄って、設営機材を搭載した。10月1日に再合流してビスマルク諸島へ移動を開始、10月5日からは駆逐艦望月に護衛され、6日にニューブリテン島ラバウルに到着した。輸送任務を終えた後はシンガポールに戻り、再び通商破壊作戦に投入される。11月1日に昭南を出撃してインド洋に向かった。 11月11日、ココス島近海でオランダ油槽船オンディナ (Ondina) および護衛の王室インド海軍(英語版)コルベット艦ベンガル (HMIS Bengal, J243) と交戦する。報国丸は「最初に護衛艦を撃沈し、次に商船を処理する」と愛国丸に伝達したが、被弾した際に報国丸の甲板に置かれていた水上偵察機が炎上した。その火災が魚雷に誘爆し、報国丸は沈没した。愛国丸はベンガルを追跡したが逃げられて姉妹艦の沈没現場に戻り、生存者278名を救助した。大石艦長は敵機動部隊を警戒し、拿捕を諦めてオンディナを沈めることにした。砲撃でオンディナの船橋を破壊し、さらに魚雷を一本命中させてオンディナを炎上させる。「オンディナは沈没するだろう」と判断した愛国丸は、敵機動部隊に脅えて現場を立ち去る。この小海戦を最後にインド洋作戦を中止してシンガポールに帰投した。当のオンディナは、一度は退船し小海戦が終わってからオンディナに戻った乗員の手によって復旧に成功し、フリーマントルに引き返していった。この小海戦は、日本海軍の特設巡洋艦による通商破壊戦にピリオドを打つものとなった。
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