インド洋作戦
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インド洋作戦(いんどようさくせん)は、太平洋戦争における日本軍の作戦である。

計画内容
インド洋作戦は太平洋戦争緒戦において、日本海軍が水上艦艇、潜水艦、航空部隊の三兵力をもって、インド洋セイロン島のイギリス軍兵力を撃滅しようとした作戦[1]。
当時、日本陸軍の南方における陸上作戦は順調で、第十五軍は首都ラグーンを占領していたが、今後、全ビルマ制圧作戦を進めるためには、海路からの軍需品輸送が必要となっていた。しかし、イギリス海軍はセイロン島に商港コロンボと軍港トリンコマリーとを持っており、マレー、シンガポールを失っても、ここを拠点として日本の海路輸送を妨害してくることが予想された[2]。
インド洋に展開するイギリス海軍は当初、空母2隻、戦艦2隻、重巡洋艦3隻をはじめ、軽巡、駆逐艦も行動しており、沿岸の基地には約300機の航空機が配備していたが[3]、マレー、シンガポールを奪った日本軍がさらに西進することを懸念して、空母1隻、戦艦3隻を増派していた。
経過
1942年2月14日、軍令部および連合艦隊は、陸軍のアンダマン諸島攻略作戦およびビルマ攻略作戦の実施に伴い、イギリス艦隊が同方面に出てくることがを予想し、南方方面に展開していた機動部隊をもってセイロン島以東のインド洋に進出させ、機を見てセイロン島を奇襲する作戦を決定した。3月5日、連合艦隊参謀長は第一段第四期作戦の作戦要領を明らかにし、その中でセイロン島方面機動作戦の実施を示した。3月9日、蘭印の無条件降伏に伴い、連合艦隊長官山本五十六大将は南方部隊指揮官・近藤信竹中将に対し、機密連合艦隊電令作第八六号で「錫蘭(セイロン)島方面機動作戦ヲ実施スベシ」と命じた[4]。これを知った馬来部隊指揮官・小沢治三郎中将はかねてから研究中のベンガル湾北部機動作戦を、情勢の許す限り、南方部隊機動部隊の作戦に策応させるべきであると近藤中将に上申し、近藤は山本の了解を得た[5]。
1942年3月14日、南方部隊指揮官・近藤中将は電令第一三九号をもって第三次機動戦実施要領を発令した[6]
1942年3月26日、コロンボとトリンコマリーの二大拠点に打撃を与えるため、南雲忠一中将率いる第一航空艦隊がセイロン島に向けて出発[3]。4月5日にコロンボ空襲、4月9日にトリンコマリー空襲を行い、イギリス軍との間でセイロン沖海戦が発生した。
小沢治三郎中将が率いる第一南遣艦隊(馬来部隊)も呼応してベンガル湾北部の敵艦隊を撃滅して、カルカッタ方面に向かう連合国側交通路を遮断すべく、インド東海岸に向かい出発した[3]。第一航空艦隊の助けもあり、ベンガル沖で多数の船舶を撃沈撃破することに成功する[7]。
潜水艦部隊も通商路への攻撃でイギリスの貨物船などを撃沈した。
4月13日、海軍大臣および軍令部総長は、連合艦隊司令官および第二艦隊司令長官(南方部隊指揮官・近藤中将)あてに、官房機密一八三番電「今次印度洋作戦ニ於テ「ベンガル」湾「セイロン」島方面所在敵艦艇、航空兵力及商船ヲ殆ド掃滅シ軍事施設ヲ爆摧スルノ大戦果ヲ収メタルヲ慶祝ス」と慶祝電を発した[8]
インド洋作戦は第一段作戦の最後に実施され、以降は第二段作戦が始まった。 第二段作戦には「すみやかにインド洋にある英艦隊を索めてこれを撃滅する」と記載されている。連合艦隊参謀だった渡辺安次は、アメリカと対峙するため主力の機動部隊は東に展開させるべきであり、西に回すのは無理があると指摘している。これに関して軍令部作戦参謀佐薙毅は、3月には第二段作戦は概定しており、決定直前にミッドウェー作戦、アリューシャン作戦が加えられたためと語っている[9]。
出典
- ^ 「週報 第288号」(昭和17年4月15日)「インド洋作戦の大展開」 アジア歴史資料センター A06031045000、11頁
- ^ 『別冊歴史読本永久保存版 空母機動部隊』新人物往来社24-25頁
- ^ a b c 『別冊歴史読本永久保存版 空母機動部隊』新人物往来社25頁
- ^ 戦史叢書26 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦 589頁
- ^ 戦史叢書26 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦 590頁
- ^ 戦史叢書26 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦 626頁
- ^ 奥宮正武『太平洋戦争と十人の提督 下』学研M文庫282頁
- ^ 戦史叢書26 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦 592頁
- ^ 戦史叢書43ミッドウェー海戦52-53頁
インド洋作戦
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詳細は「セイロン沖海戦」を参照 3月26日、南雲機動部隊はスターリング湾を出港し、作戦目標も明確でないままインド洋作戦に参加する。4月4日、南雲機動部隊はPBYカタリナ飛行艇に発見され、飛龍零戦隊はイギリス軍飛行艇を共同撃墜した。イギリス軍に発見されたことで当初の奇襲予定が崩れたことを司令部から下士官兵に至るまで誰も深刻にとらえず、敵をおびき出すチャンスだと逸っていたとする意見もある。4月5日、他艦艦載機と共に飛龍零戦9機、艦攻18機がセイロン島コロンボ空襲を行い、英駆逐艦テネドスと仮装巡洋艦ヘクターを撃沈する。また飛龍零戦隊は南雲機動部隊攻撃に向かっていたソードフィッシュ複葉雷撃機複数機(淵田中佐は12機目撃、公刊戦史10機撃墜、飛龍戦闘詳報8機撃墜、英軍記録6機)を発見・撃墜している。空中戦の総合戦果は、日本側公刊戦史によれば57機(スピットファイア戦闘機19、ハリケーン戦闘機27、ソードフィッシュ10)、イギリス軍の記録によればハリケーンとファルマー戦闘機42機が出撃して19機が撃墜され、ソードフィッシュ6機が撃墜、計25機喪失である。スピットファイアはセイロン島に配備されていなかった。この時、淵田美津雄中佐は「第二次攻撃を準備されたし」と南雲機動部隊に打電している。午前11時52分、南雲中将は第五航空戦隊(翔鶴、瑞鶴)に魚雷兵装待機中の九七式艦上攻撃機の魚雷を爆弾に変えるよう命じた。 午後1時過ぎ、コロンボ攻撃隊の収容中に重巡洋利根から発進・索敵中だった九四式水上偵察機(四号機)がイギリス軍巡洋艦2隻を発見し、軽巡阿武隈の水上偵察機も英軍駆逐艦2隻発見を報告する。源田実航空参謀の主張により第二次コロンボ攻撃は中止され、最初の発見報告から2時間後の午後3時に空母部隊(赤城、蒼龍、飛龍)から計53機の九九式艦上爆撃機が発進した。飛龍からは18機である。午後4時38分、攻撃隊は英重巡洋艦コーンウォール、ドーセットシャーに対して攻撃を開始、約17分間の攻撃で2隻を撃沈した。重巡2隻以上のイギリス艦隊を発見できなかった南雲機動部隊は、セイロン島の哨戒圏を南下して離れ、大きく東に迂回しながら北上した。 4月9日にはセイロン島ツマンコリー軍港を空襲、飛龍からの参加機は零戦9、艦攻18だった。続いてセイロン沖海戦に参加し、飛龍攻撃隊(零戦3、艦爆18)は空母ハーミーズ、オーストラリアの駆逐艦ヴァンパイア、コルベットのホリホック、タンカー2隻を共同撃沈した。また南雲機動部隊を奇襲して旗艦赤城に至近弾を与えたウェリントン爆撃機(戦闘詳報や著作によってはブリストル ブレニム)9機を飛龍直衛隊が追撃して4機を撃墜したが、能野澄夫大尉/指揮官が撃墜されて戦死した。さらにハーミーズの空襲隊を護衛して帰投中だった飛龍の零戦隊3機が残るイギリス軍爆撃機を攻撃して1機を撃墜したが、牧野俊夫一飛曹が撃墜されて戦死している。4月9日の南雲機動部隊喪失機は零戦5、艦爆4、艦攻2(1機不時着救助)で、零戦2、艦攻2が飛龍所属機だった。 イギリス軍を相手に勝利を収めた第一航空艦隊は日本への帰路についた。この帰路の途中、セイロン沖海戦で敵の来襲の無い好条件下で兵装転換を行いながら艦攻の出撃が間に合わなかったため、第一航空艦隊は兵装転換の実験を平常航海中に飛龍において実施し、魚雷から250キロ爆弾2個への転換に2時間30分(逆の場合は2時間)、魚雷から800キロ通常爆弾への転換に1時間半(逆の場合は2時間)、魚雷から800キロ徹甲爆弾への転換に2時間半(逆の場合は1時間半)の時間を要するという結果を得た。一方、この実験は危機を察した飛龍の加来艦長が実施したものとして、その結果について報告を受けた南雲司令部が改善命令を出さなかったとする主張もある。飛龍では事態を憂慮した加来艦長が、兵装転換作業の迅速化を図るため整備兵に対し猛訓練を行った。 4月15日、飛龍から零戦5、艦爆4機が第五航空戦隊戦力補強のために移された。4月18日にはアメリカ軍機動部隊によるドーリットル空襲行われ、日本軍は動揺する。第二航空戦隊は台湾沖バシー海峡で米空母追撃命令を受けたが、距離的に無理のある命令だった。4月22日、飛龍は佐世保に帰港した。ドックにてオーバーホール中、南雲機動部隊では大規模な人事異動が強行され、各艦、各航空隊ともに技量が低下してしまう。飛龍では先の兵争転換作業の訓練の結果、陸用爆弾から通常爆弾への転換なら30分で完了するまで短縮したが、それもこの人事異動で振出しに戻ってしまった。5月8日、山口多聞少将以下司令部が移乗し、第二航空戦隊旗艦となった。真珠湾攻撃時の飛龍は航続距離延長のため燃料入りドラム缶を大量に搭載したが、今作戦では機械室上部通路や機関缶室に天井まで届くほどの米俵を積載して作戦に備えた。将校から下士官兵に至るまで緊張感が薄れ、ミッドウェー占領後はトラック補給・ニューカレドニア攻略、ハワイ攻略作戦を行うことが噂されていた。
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