インド洋・後期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/13 06:46 UTC 版)
昭和19年(1944年) 3月4日 南西方面艦隊附属に転籍、定数艦上攻撃機24・実働12機。 3月19日 船便でペリリューに向かった地上要員、サバンに帰還。 4月19日 コタラジャ空襲。訓練未了者の撤退を検討。 6月上旬 「あ号作戦」発動にともない、パラオに進出。 6月30日 「あ号作戦」中止、原隊復帰。艦攻4・戦闘機3に激減。 7月25日 戦闘機隊で機動部隊索敵。発見するが艦攻隊は薄暮攻撃に失敗。 10月1日 解隊。 弱体化した705空では、かつての竜作戦やサ号作戦のような大規模行動も取れず、戦力外となって解散した。残存要員はそのままスマトラの基地要員として終戦まで自活した。
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