インド洋の交易路
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/30 15:02 UTC 版)
イギリスの最も重要な植民地であるインドだけでなく、航路や戦争遂行に必要な原材料の産地を抱えるインド洋は、戦略的に重要であると考えられていた。大戦初期、ドイツ海軍の通商破壊艦やポケット戦艦は数多くの商船 (Merchant vessel) をインド洋で撃沈した。しかし戦争が進むにつれ、これらの艦船が同海域で活動するのは困難になり、1942年にはそのほとんどが撃沈されるか撤退していた。1941年以降にはUボートのインド洋への展開も検討された。しかし、Uボート戦隊の「第1の幸福な時期 (First Happy Time) 」および「第2の幸福な時期 (Second Happy Time) 」として知られる成功期には、こうした分遣は戦力の不要な分散であると判断されていた。また、当海域にはUボート部隊の策源地もしくは補給港となる海外の基地もなかったことから、これらの艦が行動範囲の限界付近で活動することになると見込まれた。その結果、ドイツ海軍は保有するUボートを北大西洋に集中することを選んだ。 1941年の日本の対英米参戦は、イギリス領マラヤや、オランダ領東インドなど、東南アジアにおけるヨーロッパ各国の植民地の占領に繋がった。1942年5月から6月にかけて、日本海軍の潜水艦はインド洋で作戦を開始し、マダガスカルでイギリス軍と交戦する。日本による制圧を防ぐため、イギリス軍はヴィシー政権の統治下にあった島々に侵攻した。
※この「インド洋の交易路」の解説は、「モンスーン戦隊」の解説の一部です。
「インド洋の交易路」を含む「モンスーン戦隊」の記事については、「モンスーン戦隊」の概要を参照ください。
- インド洋の交易路のページへのリンク