インド洋にて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 20:16 UTC 版)
「ジェームズ・サマヴィル」の記事における「インド洋にて」の解説
1942年3月、サマヴィルはジェフリー・レイトン大将の後を受け東洋艦隊の司令長官となった。東洋艦隊はシンガポール陥落以降、セイロン島のツリンコマリー軍港を根拠地としていたが、サマヴィルは安全が十分に確保されていないと考え、モルディブのアッドゥ環礁(別名シーヌー環礁)に新たな前進基地を建設するように命じた。この頃、日本軍はビルマに進攻しつつあり、また3月下旬にはアンダマン諸島を占領したため、東洋艦隊の大部分はアッドゥ環礁かケニヤのモンバサにあるキリンディニ港に退避することとなった。 4月に入って行われた、南雲忠一中将指揮下の日本の機動部隊によるセイロン島空襲は、ツリンコマリーから退避するというサマヴィルの判断が賢明であったことを示した。1隻の軽空母と2隻の重巡洋艦が沈められた後、サマヴィルは日本艦隊への反撃を試みるが成功しなかった。もっとも、反撃が成功したとしても彼の手元にあった2隻の空母を中心とした艦隊では、かえって日本艦隊に圧倒されてしまった可能性もある(セイロン沖海戦)。 1944年に入ると、サマヴィルは増援を得て攻勢に転じ、日本占領下のオランダ領東インドへの空襲作戦を実施した。これによりイギリス海軍航空隊の将兵は、後の太平洋における作戦で必要とされる知識を得ることが出来た。
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