インド洋での活動とは? わかりやすく解説

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インド洋での活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 01:22 UTC 版)

アトランティス (仮装巡洋艦)」の記事における「インド洋での活動」の解説

オーストラリア・モーリシャス間の航路向かったアトランティス」は6月10日ノルウェー貨物船ティラナ (Tirrana)」(7230トン)を発見し砲撃行って降伏させた。同船拿捕され、物資燃料の「アトランティス」への移載後、会合地点へと送られた。 7月11日、エラーマン・ライン社の「シティ・オブ・バグダード (City of Bagdad)」(7506トン)を発見同船爆薬仕掛けられ沈められた。7月13日イギリス船「ケメンダイン (Kemmendine)」(7770トン)を発見接近したのち砲撃行い被弾した「ケメンダイン」は降伏したものの、大砲発射した船員がいたため「アトランティス」側も砲撃再開することとなった。この発砲は、船長命令破損したパイプからの蒸気噴出音で聞こえなかったことによるものであった結局大きな損害受けた「ケメンダイン」は魚雷2本を使って沈められた。 7月29日、「アトランティス」は「ティラナ」と合流。「ティラナ」に捕虜乗せて本国へ送るため、必要な燃料移送などが行われた。8月2日その場ノルウェーのウイルヘルムセン・ライン社の「タリーランド (Talleyrand)」(6731トン、または6732トン)が現れ砲戦の後「タリーランド」は停船拿捕するか検討されたが、搭載燃料少なかったことから爆薬によって沈められた。8月5日捕虜乗せたティラナ」は「アトランティス」と別れ大西洋向かった。「ティラナ」はフランスまでたどり着くも、護衛掃海艇待っていた時にイギリス潜水艦ツナ」によって沈められた。 8月25日夜、モーリシャス・ロドリゲス間でリヤダン・スミス・ライン社の貨物船「キング・シティ (King City)」(4744トン)を発見同船故障のため停船し、その動き不審感じたローゲ奇襲攻撃することに決め、まず魚雷発射した外れた続いて砲撃が行われ、「キング・シティ」は被弾炎上した。そこに至って相手は普通の商船であると判明し生存者収容後、砲撃によって「キング・シティ」は沈められた。 9月9日、ユナイテッド・モラセス社のタンカー「アセールキング (Athelking)」(9557トン)を発見砲撃。「アセールキング」を停船させるのに砲弾91発を消費し同船大損害を受けて炎上した生存者収容後、砲撃によって沈められた。 9月10日、W・トムセン社ベンラインの貨物船「ベナーティ (Benarty)」(5800トン)を発見。まず、「アトランティス」は飛行機発進させて攻撃続いてアトランティス」が停船命じ、「ベナーティ」前方砲撃を行うと10分後にようやく停船。しかし、攻撃受けていると発信したため「アトランティス」は砲撃行い船倉命中して火災発生したその後拿捕隊が乗り込み船内捜索後、爆薬設置され沈められた。 9月19日イギリス徴発されフランス貨客船「コミサール・ラメル (Commissaire Ramel)」(10061トン)を発見。「コミサール・ラメル」は停船には応じたものの、位置攻撃受けたことを発信したため多数砲弾撃ち込まれ炎上生存者収容後、砲撃によって沈められた。 10月22日ユーゴスラビア貨物船「ダーミター (Durmitor)」(5623トン)を発見。「ダーミター」は停船命令に応じて停船したが、SOS発信した。「ダーミター」はスペインから塩を日本へ運ぶ途中であり、本来は拿捕できないのであるが、停船命令受けた際にSOS発信したこと及び、スペインで塩を積む前にカーディフからオラン石炭運んでいたことを理由として拿捕したその後、「ダーミター」は会合点へと送られた。10月26日に「アトランティス」は「ダーミター」と合流し捕虜乗せた「ダーミター」はソマリランドへと向かった石炭の下に空洞があり、十分な燃料がないことが発覚するも「ダーミター」はどうにかソマリランドにたどり着いた11月8日夜、コロンボ・シンガポール間の航路ノルウェータンカーテディ (Teddy)」(6750トン、または6748トン)を発見イギリス仮装巡洋艦アンテノール (Antenor)」を装い拿捕隊が乗り込むまでだまし続けることに成功した拿捕された「テディ」を会合地点に向かわされた。11月10日発進させた飛行機ノルウェータンカー「オール・ヤコブ (Ole Jacob)」(8306トン)を発見。「テディ」の時と同じ手を使い警戒はされたものの拿捕成功したこの後イギリスオーストラリア艦艇巡洋艦キャンベラ」、「ケープタウン」、「ダーバン」、仮装巡洋艦「Westralia」)による捜索実施されたが、成果なく終わっている。「オール・ヤコブ」は航空燃料1万トン積んでおり、「テディ」のいる場所の近く地点へと向かわされた。翌日には今度イギリス、ブルー・ファンネル・ラインの貨物船「オードメダン (Automedon)」(7528トン)を発見。「オードメダン」は無電発し続けたため多数命中弾を受けて船長などが死亡しその結果破棄されなかった多数機密文書ドイツ側の手渡ったその後、「オードメダン」は沈められた。11月13日、「テディ」と合流し使えるものを移載した後「テディ」を沈めた11月14日、「オール・ヤコブ」と合流。「オードメダン」の文書託され捕虜乗せた「オール・ヤコブ」は日本向かったドイツ側は「オール・ヤコブ」の航空燃料引き換え仮装巡洋艦用の燃料航空機入手し以後しばらくは「オール・ヤコブ」は仮装巡洋艦オリオン」の補給となったこの頃仮装巡洋艦「ピンギン」では増えた捕虜拿捕していたタンカー「ストルシュタット (Storstad)」に乗せてヨーロッパへ送ろうとしており、同船からの給油要求認められた「アトランティス」は12月8日に「ピンギン」および「ストルシュタット」と合流した

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インド洋での活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 01:35 UTC 版)

エムデン (軽巡洋艦・初代)」の記事における「インド洋での活動」の解説

9月3日石炭補給のためエムデンシムルー島沖に到着翌日、島の湾内入りマルコマニアからの補給開始した。。ここでは補給ウルム来ているはずであったがその姿はなかった。この場所はイギリス装甲巡洋艦ハンプシャー捜索訪れており、エムデン24時間早く来ていたらハンプシャー発見されていたところであった翌日オランダ船が現れ24時間超過のため出港要求しエムデンは島を離れた9月9日中立国ギリシャ貨物船ポントポラスを発見。ポントポラスはイギリス軍用の石炭運んでおり、交渉結果船長ドイツ傭船となることを了承したエムデンはコロンボ・カルカッタ航路向かい9月10日にはイギリスインダス停船させその搭載物資を移載後沈めた翌日にもイギリス船ローバットを発見し沈めたカルカッタ向かったエムデン9月12日にはアメリカ向け貴重品載せたイギリス船カビンガとイギリス石炭運搬船キーリンを停船させ、キーリンは食料運び出された後13日沈められた。9月13日にも紅茶積んだイギリスディプロマット沈めた9月14日沈められた船の乗組員がカビンガで解放された。またこの日石運搬船トラボックとイギリス貨物船クラン・マゼソンを沈めた。これらの間に出会ったイタリア船ロダリノや、解放したカビンガにより存在知られたため、エムデンカルカッタ沖での行動終了した9月16日エムデンアンダマン諸島でポントポラスから石炭補給しその後低速のポントポラスは単独会合所へと向かわせた。エムデンラングーン沖へと向かいノルウェー船ドヴレを発見。この船によってクラン・マゼソンの乗組員解放された。 エムデンによる通商破壊インド洋連合軍通商航路大きなパニック巻き起こした商船戦時保険料急騰し多く船舶出港見合わせた。これはたった一隻巡洋艦による影響としては大きなものであった

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インド洋での活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 02:56 UTC 版)

大井 (軽巡洋艦)」の記事における「インド洋での活動」の解説

1943年8月末から1944年1月末まで、大井北上は4個部隊シンガポールペナンからインド洋アンダマン諸島ニコバル諸島輸送した2月27日から、大井軽巡洋艦鬼怒駆逐艦浦波天霧敷波とともにインド洋通商破壊従事する重巡洋艦利根筑摩青葉護衛行ったが、4月末まではほとんどシンガポール近郊ボルネオ島のバリクパパン・タラカンにいた。5月主としてタラカン・パラオ・ソロンの間で部隊輸送行った6月渾作戦には赤痢患者発生のため参加できず、復帰後は南西方面艦隊移転輸送のためスラバヤからマニラ2度航海。その任務終了後大井7月18日シンガポールへ向けマニラ離れた7月19日大井香港の南570海里南シナ海アメリカ潜水艦フラッシャー発見された。大井が距離1400ヤード(1300m)を通過したところでフラッシャー艦尾から魚雷を4発発射し、2発が大井左舷命中、1発は不発だったがもう1発が機関室爆発したフラッシャーはさらに、距離3500ヤード艦首から4発の魚雷撃ったが、それは全て外れた駆逐艦敷波大井曳航しようとしたが、17時25分、.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯13度12東経11452分 / 北緯13.200度 東経114.867度 / 13.200; 114.867の地点において大井艦尾から沈没した敷波大井柴勝男艦長368人の乗組員救助したが、153人が戦死した1944年9月10日大井除籍された。

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インド洋での活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/08 16:51 UTC 版)

ニコラス (フリゲート)」の記事における「インド洋での活動」の解説

2010年インド洋にて海賊監視活動従事同年4月1日未明セーシェル沖で武装勢力小型船から銃撃受けたため反撃。5人を拘束した後に、小型船撃沈した

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