インド洋から大西洋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 23:17 UTC 版)
「イーグル (空母・初代)」の記事における「インド洋から大西洋」の解説
イーグルは1941年4月9日に駆逐艦「エンカウンター」、「デコイ」に護衛されてアレクサンドリアを出港し、4月10日に護衛の駆逐艦と分かれてスエズ運河に入り、同日、グレートビター湖に入った。運河内にはドイツ軍の機雷によって沈んだ船があり、強風のためその場所の通過が不可能であったため「イーグル」は4月15日までグレートビター湖に留まることになった。4月15日に無事障害物の場所を通過し、スエズ港に到着した。そこで給油を受け、翌日にポートサイドを出港、単独で南へ向かい4月18日にポートスーダン沖に着いた。翌日イーグルは出航し、ポートサイドに展開していた搭載機のソードフィッシュを収容後さらに南へ向かい、4月21日にアデンに着いた。同日、「イーグル」は重巡洋艦「コーンウォール」と共にアデンを離れ、2隻は4月26日にモンバサに到着した。 4月28日、ドイツ仮装巡洋艦「ピンギン」がイギリス船「Clan Buchanan」を沈めた。同船からの遭難信号を受けて「イーグル」と巡洋艦「コーンウォール」、「ホーキンス」、「リアンダー」による捜索が開始された。「イーグル」は4月29日にモンバサより出航し、「ホーキンス」と合流して捜索を実施したが成果はなく、5月4日にモンバサに戻った。 「イーグル」はジブラルタルで必要とされ、そちらへ向かうこととなった。「イーグル」と「ホーキンス」は5月5日に出航してダーバンへ向かい、5月9日に到着。翌日「イーグル」は出航し、戦艦「ネルソン」とともにケープタウンへ向かった。5月17から18日の夜、ケープタウンからセントヘレナへ向かっていた2隻にドイツ仮装巡洋艦「アトランティス」が遭遇したという。5月25日、フリータウンに到着。この頃、大西洋へドイツ戦艦「ビスマルク」と重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」が出撃(ライン演習作戦)。「プリンツ・オイゲン」への給油のためカナリア諸島の西約900浬にタンカーが配置されるとの情報により、「イーグル」と軽巡洋艦「ダニーディン」がその海域の捜索を行うこととなった。5月29日に「イーグル」は駆逐艦「Velox」を伴って出航し、5月31日に「ダニーディン」と合流した。6月6日、アゾレス諸島付近で「イーグル」のソードフィッシュはドイツの封鎖突破船「Elbe」(9179トン)を沈めた。6月15日、「イーグル」のソードフィッシュが商船を発見。同機は射撃を受けたため爆撃を行い命中させた。その船はドイツの補給船「Lothringen」であり、その後「ダニーディン」によって拿捕された。6月20日、フリータウンに帰投。 7月4日に「イーグル」は出航し、仮装巡洋艦「アルカンタラ」と合流してセントヘレナへ向かい、7月8日に到着。そこで2隻は「ダニーディン」と合流してZ部隊となり、敵通商破壊可捜索を開始したが何も見つからず、「イーグル」と「ダニーディン」は給油のため7月23日にセントヘレナに戻った。7月24日に出航して再び哨戒を行ったが何も見つからず、8月10日にフリータウンに戻った。 「イーグル」はイギリスに戻ることになったが、大西洋中央部でのアドミラル・ヒッパー級重巡洋艦とされる目撃情報を受けてそれは無期限延期となり、8月29日に重巡洋艦「ドーセットシャー」と共にF部隊として出航し、哨戒に従事した。9月20日、「イーグル」の格納庫内で火災が発生。火災自体の被害はほぼ発生場所のソードフィッシュのみにとどまったが、格納庫内のほとんどのソードフィッシュが海水を浴びたことで使用可能は機体は一時4機のみとなった。また、この頃「イーグル」のボイラー室で問題が発生し、速力低下を招いた。10月3日、フリータウンに帰投。
※この「インド洋から大西洋」の解説は、「イーグル (空母・初代)」の解説の一部です。
「インド洋から大西洋」を含む「イーグル (空母・初代)」の記事については、「イーグル (空母・初代)」の概要を参照ください。
- インド洋から大西洋のページへのリンク