インド洋、ペルシア湾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:20 UTC 版)
紀元前27世紀頃には、メソポタミア文明とインダス文明が海上貿易を行っていたとされる。貿易品はインド洋やペルシャ湾を経由して運ばれ、インダスの名産だったカーネリアンのビーズがメソポタミアで発見されている。アッカド語でメルッハ(英語版)と呼ばれた土地が、インダス文明を指すのではないかという説がある。一方でインダス側にはメソポタミアとの交渉を示す証拠が少なく、インダス文字が解明されていない点も調査を困難としている。インダスとメソポタミアの貿易の中継地としてディルムンが知られ、インダスの装飾品の他にメソポタミアの大麦、青銅、木材が取り引きされていた。アッカド期のメルッハからは、砂金、銀、ラピスラズリ、カーネリアン、青銅といった鉱物のほかに、珍しい生き物としてクジャクなどがもたらされている。 紀元前13世紀からは、アラビア半島南部のサバア王国をはじめとする国が、インドの香料をエジプトやシリアに運んでいた。インド洋の西部では、季節風が4月から9月にかけては南西から北東、11月から3月にかけては北東から南西に吹く。1世紀から2世紀には、アエギュプトゥスに住むギリシア人が、貿易商人のための案内書として『エリュトゥラー海案内記』を書いている。この書では、エリュトゥラー海を指す紅海だけでなく、アラビア海、ペルシア湾、インド洋も含んでいた。案内記によれば、ギリシア人の船乗りであるヒッパロス(英語版)が季節風を利用する航路を開拓したためにヒッパロスの風とも呼ばれた。 季節風の利用で貿易が活発となり、インドからアラビア半島、東アフリカまでをつないだ。モカをはじめとするアラビアと東アフリカの港町をつなぐ航路ではダウ船が用いられ、タンザニアからオマーンまでの約4000キロメートルの直行には3週間から4週間かかった。東アフリカから輸出されたのは シナモン、乳香、象牙、サイの角、鼈甲などで、アラビアからアフリカへ輸出されたのは武器、ガラス製品、ワイン、麦などであった。地中海とインド洋のあいだの貿易は1世紀末には衰退するが、インド洋とアフリカを結ぶルートは貿易以外にも用いられ、4世紀から5世紀にかけては東南アジアのマライ系や太平洋のオーストロネシア系の人々が東アフリカへ移住する。移住者によって、米、バナナ、サトウキビ、イモ類がアフリカに伝わった。
※この「インド洋、ペルシア湾」の解説は、「貿易史」の解説の一部です。
「インド洋、ペルシア湾」を含む「貿易史」の記事については、「貿易史」の概要を参照ください。
インド洋、ペルシア湾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:20 UTC 版)
インド洋は、大西洋のように艦隊で海域支配を求める国が長らく存在しなかった。内陸に基盤をもつ国は海上貿易には関税以外の干渉は少なく、海岸沿いの港市国家も商人を呼び込むために干渉を避けていた。インド洋ではモンスーンを利用した貿易が行われ、東部からは東南アジアの香辛料、西部からはアラビア半島・東アフリカ・ペルシャの産物、インドからは綿織物(キャリコ)が運ばれた
※この「インド洋、ペルシア湾」の解説は、「貿易史」の解説の一部です。
「インド洋、ペルシア湾」を含む「貿易史」の記事については、「貿易史」の概要を参照ください。
- インド洋、ペルシア湾のページへのリンク