インド洋 通商破壊任務
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「伊号第八潜水艦」の記事における「インド洋 通商破壊任務」の解説
1944年1月25日艦長に有泉龍之助(海兵51期)中佐(10月15日大佐)が着任する。 2月19日、呉を出港し、ペナンに移動。 3月19日、ペナンを出港し、モルディブ諸島周辺で哨戒を行う。 3月26日、コロンボ南南西600浬地点付近で、蘭貨物船ティラサック(Tjisarak、5,787トン)を雷撃により撃沈。 3月30日、ディエゴガルシア島南東沖合で、伊8の搭載機が空船でカラチからフリーマントルに向かっていた英貨物船シティ・オブ・アデレード(City Of Adelaide、6,589トン)を発見。日没後、搭載機の通報により南緯12度01分 東経80度27分 / 南緯12.017度 東経80.450度 / -12.017; 80.450の地点で先回りして待ち伏せしていた伊8は魚雷1本を発射。魚雷はシティ・オブ・アデレードの右舷に命中し、同船は大傾斜して救難信号を発信したのち、放棄された。放棄後、伊8は浮上して砲撃し、シティ・オブ・アデレードを撃沈した。 4月11日0607、北緯3度31分 東経67度07分 / 北緯3.517度 東経67.117度 / 3.517; 67.117フリーマントルから潜水艦用燃料を搭載して航行中の米T2 タンカーヤムヒル(Yamhill、10,448トン)を発見し、合計4本の魚雷を発射。しかし、2本はヤムヒルの右舷側を、もう2本は左舷側を通過していった。雷撃されたと気づいたヤムヒルは救難信号を発信。10kmの距離を保って12時間以上追跡しながら、伊8は砲弾20発を発射。ヤムヒルも応戦し、38発の砲弾を発射した。夕方ごろ、モルディブから飛び立った英空軍所属のPBY カタリナが接近してきたため、伊8は急速潜航して離脱した。 4月16日、アッドゥ環礁付近で帆船を発見し、砲撃により撃沈。 6月29日2345、南緯07度51分 東経75度20分 / 南緯7.850度 東経75.333度 / -7.850; 75.333のディエゴガルシア南西沖合で、174人の乗客と一般貨物2,720トンを乗せてボンベイからシドニーに向かっていた英貨物船ネルール(Nellore、6,942トン)を発見し、雷撃。魚雷2本が命中したネルールは航行不能となり、火災が発生した。同船は放棄され、浮上した伊8は砲手1名、乗客10名を捕虜とした。 6月30日0245、炎上するネルールを砲撃し、撃沈。 7月2日、南緯03度28分 東経74度30分 / 南緯3.467度 東経74.500度 / -3.467; 74.500のセイロン島南方700浬地点付近で、中国、ビルマ、インド方面への軍需物資を積んでボンベイからシドニーに向かっていた米リバティ船ジーン・ニコレット(Jean Nicolet、7,174トン)を発見し、魚雷2本を発射。魚雷はすべてジーン・二コレットの右舷に命中し、すぐに同船は放棄された。伊8が浮上して砲撃準備中、ジーン・ニコレットは沈没した。その後、日本へ回航中の呂号第五百一潜水艦との会合に向かうも、同艦が5月に米駆逐艦の攻撃により戦没してしまったためやむなく反転。 8月14日、ペナンに到着。その後ペナンを出港し、10月9日に横須賀に到着して整備を受ける。この時、艦後部の航空兵装(格納筒、射出機、クレーン)を撤去し、4隻の回天を搭載可能なように改装されたが、最期まで回天を搭載することはなかった。改装完了後、佐伯へ移動。 11月5日、第六艦隊付属となる。 12月1日、艦長篠原茂夫(兵62)少佐着任。
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