インド更紗とヨーロッパ機械製更紗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 15:09 UTC 版)
「アフリカン・ワックス・プリント」の記事における「インド更紗とヨーロッパ機械製更紗」の解説
インド更紗は中世から西アジアや東アジア、ヨーロッパに輸出されており、16世紀以降にはイギリス東インド会社によってヨーロッパ向けの更紗が運ばれて人気を呼んだ。17世紀には、インド更紗はヨーロッパによって西アフリカのギニア湾岸に運ばれた。インドからイギリスのリバプールやフランスのナントに運ばれた更紗は、ヨーロッパ各地やアフリカ、アメリカへ運ばれ、こうした貿易はイントゥリカ(インディア・トゥ・アフリカ)とも呼ばれた。 18世紀から19世紀に入ると、イギリスやオランダで機械製の更紗の生産が増えた。イギリスのランカシャーやダービーシャーは更紗の紡績、マンチェスターは貿易で栄えた。イギリスは自国の更紗の輸出を進めるとともに、インド更紗を衰退させた。1750年代から東インド会社はインドの綿製品の買取権を独占し、安価で仕入れようとした。このために職人は移住したり農業など他の仕事に移り、インドの繊維産業は衰退した。こうしてヨーロッパの機械製更紗がインド更紗に代わってアフリカへ輸出されるようになった。
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