東地中海、黒海
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:20 UTC 版)
ビザンツ帝国との貿易で最も恩恵を受けたのは、ヴェネツィアだった。ヴェネツィアはアドリア海を渡るビザンツ帝国軍の輸送を担当したため、バシレイオス2世は992年にダーダネルス海峡に入るヴェネツィア船の基本税を30ソリドゥスから17ソリドゥスに減額した。 インド洋や陸路を経由して運ばれる香辛料は、イタリアの都市に大きな利益をもたらした。13世紀にはモンゴル帝国による戦乱ののちにモンゴルの地方政権によって交通が安全になり、黒海から中国へ向かう陸路の貿易も増えた。ジェノヴァやヴェネツィアは、モンゴル政権のイルハン朝やジョチ・ウルスと商業協定を結んで黒海から東方へ進出する。フィレンツェの商人ペゴロッティ(英語版)が1330年代頃に編纂したとされる商業書『商業指南(英語版)』には、中国や黒海方面の貿易の記述が多く、タナから中国まで陸路で早ければ7、8カ月で到着すると書かれている。カッファやトレビゾンドはジェノヴァの拠点となり、本国と紛争にいたることもあった。黒海では穀物、塩、魚といった食料の物産に加えて、イタリア商人を中心に奴隷貿易が行われ、スラヴ系の奴隷はサカーリバと呼ばれた。 15世紀にはオスマン帝国がビザンツ帝国を征服して、地中海貿易は大きく変化する。オスマン帝国は東西の中継貿易に力を入れ、イタリアの都市国家は貿易ルートの支配が低下した。このためヨーロッパでは、地中海以外のルートを開拓する試みが活発となる。サファヴィー朝が建国されるとアルメニアや商人やギリシア商人の進出が増え、イスラーム商人は地中海やインド洋での活動が縮小していった。
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