南太平洋での通商破壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 17:45 UTC 版)
「愛国丸 (特設巡洋艦)」の記事における「南太平洋での通商破壊」の解説
10月15日付で日本海軍は「愛国丸」と「報国丸」により第二十四戦隊を編制した。第二十四戦隊は、太平洋戦争開戦後、南太平洋中部で通商破壊を行なうこととされた。11月15日夕方、報国丸とともに岩国を出撃し、11月24日にジャルート環礁に到着。上陸休息のあと11月26日に出撃、ツアモツ諸島東方に向かった。 12月8日の開戦を.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}南緯14度52分 西経133度19分 / 南緯14.867度 西経133.317度 / -14.867; -133.317の地点で迎え、シドニーとパナマ間の大圏航路を捜索する。12月13日、南緯22度38分 西経118度14分 / 南緯22.633度 西経118.233度 / -22.633; -118.233の地点で東航する米貨物船ヴィンセント (Vincent 、6,210トン) を発見した。ヴィンセントは警告を無視して逃走しようとしたので、砲撃を開始する。積荷が木材だったので中々沈まず、雷撃により撃沈した。38名の乗員を捕虜としたが、SOSを発信して警報が発せられたのを受信。警戒が厳重になる事が予想されたため、南下してニュージーランド寄りの航路の捜索に転じることとなった。 12月21日に漂泊して整備を行い、年明けの1942年(昭和17年)1月1日、水上偵察機を発進させて新たな獲物の捜索に乗り出した。翌1月2日、報国丸の水上偵察機が米貨物船マラマ (Malama 、3,275トン) を発見して爆撃を行う。これを受信した第24戦隊はマラマを発見して撃沈し、乗員38名を救助して捕虜とした。マラマはすでにSOSを発信しており、ラロトンガ島の受信局がこれを受信して警報が発せられたのを傍受し、ツアモツ諸島北西海域に移動する。折りしも雨季に差しかかった事や、マーシャル諸島近海にアメリカ海軍の空母機動部隊や潜水艦が出現する兆候が見られたことによりトラックへの帰投に決した。2月4日にトラックに帰投後、次期作戦のため日本本土に回航されるが、2月11日に九州南方でソ連貨物船キム(Kim、5,113トン)を臨検するも、疑わしい所がなかったため釈放した。 2月12日に大分港に到着し、日系人1名を含む捕虜76名を大分航空隊に引き渡した後、2月14日に呉に帰投。武田少将は連合艦隊参謀長宇垣纏少将(海兵40期)に作戦報告を行い、宇垣少将は戦隊の活動が不調だった事を考慮して海軍省に第二十四戦隊の解隊を意見具申した。3月10日付で第二十四戦隊は解隊され、報国丸と愛国丸は連合艦隊付属の身分となった。また、燃料や魚雷を潜水艦へ補給するための設備を設け、次期作戦までに主兵装が15センチ砲から14センチ砲に改められた。
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南太平洋での通商破壊
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「伊号第十九潜水艦」の記事における「南太平洋での通商破壊」の解説
3月24日、伊29は横須賀を出港し、30日にトラックに到着。4月4日、トラックを出港し、ニューヘブリディーズ諸島とフィジー諸島の間で通商破壊任務に就いた。29日夜、南緯18度34分 東経176度21分 / 南緯18.567度 東経176.350度 / -18.567; 176.350のエファテ島東方沖で、エスピリトゥサント島からサンフランシスコに向かっていた米リバティ船ピーター・シルベスター(Peter Silvester、7,176トン)を発見して魚雷2本を発射。魚雷はピーター・シルベスターの船底下を通過した後爆発し、損傷を与えることはできなかった。30日、スバ南東沖で米リバティ船フェーベ・A・ハースト(Phoebe A. Hearst、7,176トン)を発見。3時間の追跡の後、南緯20度07分 東経177度33分 / 南緯20.117度 東経177.550度 / -20.117; 177.550の地点で雷撃して撃沈した。5月2日、フィジー諸島近海で米貨物船ウィリアム・ウィリアムズ(William Williams、7,181トン)を発見し、雷撃。魚雷はウィリアム・ウィリアムズの左舷に命中し、縦12m、横9mの穴を開けた。ウィリアム・ウィリアムズは一旦放棄されたが、その後乗員が船に戻り、米設網艦カタルパ(英語版)(USS Catalpa, AN-10)の助けを借りてフィジー諸島へ向かった。16日、南緯19度00分 東経175度00分 / 南緯19.000度 東経175.000度 / -19.000; 175.000のスバ近海でポートビラからスバへ向かっていた米貨物船ウィリアム・K・ヴァンダービルト(William K. Vanderbilt、7,181トン)を雷撃して撃沈した。撃沈後浮上して救命ボートを機銃掃射し、ウィリアム・K・ヴァンダービルトの乗員1名が死亡した。6月6日、トラックに到着。 7月4日、伊19はトラックを出港し、ニューヘブリディーズ諸島とフィジー諸島の間で通商破壊任務に就いた。15日夜、エスピリトゥサント島を潜望鏡偵察し、重巡2、輸送船1の在泊を報告。7月20日、ビティレブ島を潜望鏡偵察し、複数の空母と戦艦の在泊を報告。8月11日にもビティレブ島を潜望鏡偵察。13日、フィジー近海でモータスクレイパー、クレーン、トラック、ポンツーン他重機多数を搭載してエスピリトゥサント島に向かっていた米リバティ船M・H・デ・ヤング(M.H. De Young、7,176トン)を発見し雷撃。魚雷はM・H・デ・ヤングの機関室に命中し撃破。船倉内に積まれていたポンツーンの浮力で辛うじて浮いていたM・H・デ・ヤングは曳航されてトンガタプ島に、次いでエスピリトゥサント島に曳航された。その後、伊19はトラックに戻った。9月27日、艦長が小林茂男少佐に交代。
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