田中広太郎 (内務官僚)とは? わかりやすく解説

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田中広太郎 (内務官僚)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/24 07:33 UTC 版)

田中広太郎

田中 広太郎(たなか こうたろう、1888年11月4日 - 1968年1月17日[1])は、日本の内務官僚府県知事

経歴

奈良県出身。農業・田中楳太郎の長男として生まれる。京華中学第一高等学校を経て、1913年7月、東京帝国大学法科大学政治学科を優等で卒業し、銀時計を授与された。内務省に入り東京府属となり、内務部土木課に配属。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。

1915年10月、福岡県理事官・内務部庶務課長に就任。以後、内務省地方局事務官、内務書記官・地方局町村課長などを歴任。1923年3月から1924年4月まで欧米に出張。1924年7月、地方局都市課長となる。さらに、地方局財務課長、復興局整地部長などを務めた。

1929年5月、東京市助役となり、翌年5月まで在任。1931年12月、静岡県知事に就任。以後、長崎県愛知県大阪府の各知事を歴任した。

1947年3月に大阪府知事を退任し、その後、地方自治連盟理事長、財団法人奉仕会会長、日本財政学会顧問、関東屋外広告連盟顧問、松下電器産業顧問などを歴任。その他、京都大学九州大学明治大学日本大学大阪商科大学駒澤大学の各講師を務めている。

1968年1月17日死去。享年79。

栄典

親族

著作等

  • 『地方税戸数割』良書普及会、1922年。
  • 『地方税制講話』良書普及会、1926年。
  • 『最新地方財政要綱』良書普及会、1928年。
  • 『地方財政』日本評論社、1930年。
  • 内政史研究会『田中広太郎氏談話速記録』第1回・第2回・第3回(『内政史研究資料』第5・9・13集)、1963-64年。
    • 『現代史を語る(7)――内政史研究会談話速記録』(伊藤隆監修、内政史研究会編、現代史料出版、2012年)。他は堀切善次郎

脚注

  1. ^ 『昭和物故人名録 : 昭和元年~54年』日外アソシエーツ、1983年、p.309。
  2. ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。
  3. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
  4. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。



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