広瀬武夫中佐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 03:20 UTC 版)
詳細は「広瀬武夫」を参照 日露戦争中の旅順港閉塞作戦において、閉塞船福井丸を指揮していた海軍少佐(戦死後に海軍中佐)広瀬武夫は、敵弾飛び来る中で行方不明となった部下の海軍一等兵曹(戦死後に海軍兵曹長)杉野孫七を探して退避が遅れ、ロシア海軍の砲弾の直撃を受けて戦死した。 決死的任務を敢行し、また自らの危険を顧みず部下の生命を案じて戦死を遂げたことから、歿後すぐに軍神とされた。のちに唱歌『広瀬中佐』に「杉野は何処、杉野は居ずや」のように歌われた。現存しない東京・万世橋駅前には広瀬(と杉野)の銅像も建てられていた。
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