広瀬正浩の「空気系」説批判
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「けいおん!」の記事における「広瀬正浩の「空気系」説批判」の解説
広瀬正浩は「けいおん!」が空気系で、達成する目的がない、物語性がない、無時間的である、男性不在であるとする批評に対して疑問を呈している。 広瀬は物語性のなさについて、1期・1話「廃部!」で中学時代には帰宅部だった唯が、変化を求めて高校では部活を行おうとすることや、1期・14話「ライブハウス!」の劇中で澪が「こんな話ができたのも、唯やムギ、みんなのおかげかも。みんながちょっとずつ新しいドアを開いてくれる」「せっかく新しいドアを開いたんだから」とのセリフから、澪たちは1年の春から2年の冬までの間に目的の達成に向かって前進しており、「けいおん!」には目的の達成や物語が存在するとしている。 また無時間的であるとする指摘には、2期・20話「またまた学園祭!」で澪と唯が1・2年時の学園祭でのトラウマや失敗を引きずっていることを引き合いに出し、無時間的とする批評は当たらないとしている。また2期・20話のクライマックスシーンから、もう今のような日常が訪れることがないことを唯たちが理解しており、時間の有限性を自覚しているとする。 男性の不在について、確かに「けいおん!」には主要な男性キャラクターは存在しないが、山中さわ子が男性的な視線を持ったキャラクターとして存在しており、男性キャラクターの不在が男性的な視線の不在を意味するわけではないとし、以上のことから広瀬は「けいおん!」は空気系とは言えないとしている。
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