軍神・西住小次郎
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死後、西住の上官だった細見惟雄大佐は、11月、千葉陸軍戦車学校で行われた講演会で西住について触れた。更に12月17日、陸軍省記者倶楽部詰めの記者を陸軍戦車学校に招き、戦車の演習を見せるとともに、細見大佐が「故西住大尉に就て」と題した講演を行った。細見大佐は、「新聞紙のもつ偉大なる力に依つて、この西住大尉により顕現された軍人精神を全国民に知らしめ、国民精神総動員のために裨益するところあらしめたい」と要請したという。この翌日、まず東京朝日新聞が「昭和の軍神・西住大尉 陸軍全学校教材を飾る偉勲鉄牛部隊の若武者」との見出しを付け、その生涯と戦績について報じた。12月23日に西住の乗車であった戦車が公開され、26日にラジオで細見大佐が西住についてのラジオ講演を行うと報道は過熱化、マスコミは西住のことを一斉に書き立て、軍神と称賛した。背景として、南京、漢口を落としたにも拘らず続く日中戦争で厭戦感が漂い始めた国民に活を入れる材料として使われたとの見方がある。 翌年3月11日、支那事変戦死者第八回論功行賞において西住は「申し分ない典型的武人」「忠烈鬼神を泣かしむる鉄牛隊長」として陸軍報道部によって顕彰され、殊勲甲優賞、功四級金鵄勲章及び勲五等旭日章を授与された。 戦前日本において、日露戦争時の広瀬武夫中佐・橘周太中佐などが既に「軍神」の尊称を受け著名な存在になっていたものの、軍部によって公式に「軍神」として指定されたのは西住が最初であった。以降、西住は「軍神西住戦車長」などと謳われ、広く国民に知られることとなる。 また、西住が乗っていた1,300発にも及ぶ被弾痕の残る八九式中戦車は靖国神社で展示され、大きな話題となった。その他にも、西住をテーマにした小説や戦時歌謡(軍歌)、子供向けの伝記が数多く作られている。特に、軍部の依頼によって書かれた菊池寛による小説『西住戦車長伝』は1939年(昭和14年)、東京日日新聞・大阪毎日新聞に連載されると好評を博し、1940年(昭和15年)には松竹により映画化。監督は吉村公三郎、脚本は野田高梧が担当し、上原謙が西住役として主演している(後述)。また主題歌の『西住戦車隊長の歌』は北原白秋が作詞を、飯田信夫が作曲をそれぞれ担当した。
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