軍神・西住小次郎とは? わかりやすく解説

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軍神・西住小次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 13:31 UTC 版)

西住小次郎」の記事における「軍神・西住小次郎」の解説

死後西住の上官だった細見惟雄大佐は、11月千葉陸軍戦車学校行われた講演会西住について触れた。更に12月17日陸軍省記者倶楽部詰め記者陸軍戦車学校招き戦車演習見せとともに細見大佐が「故西住大尉に就て」と題した講演行った細見大佐は、「新聞紙のもつ偉大なる力に依つて、この西住大尉により顕現された軍人精神全国民知らしめ、国民精神総動員のために裨益するところあしめたい」と要請したという。この翌日、まず東京朝日新聞が「昭和軍神西住大尉 陸軍全学教材を飾る偉勲鉄牛部隊若武者」との見出し付けその生涯戦績について報じた12月23日西住乗車であった戦車公開され26日ラジオ細見大佐西住についてのラジオ講演を行うと報道過熱化マスコミ西住のことを一斉に書き立て軍神称賛した背景として、南京漢口落としたにも拘らず続く日中戦争厭戦感が漂い始めた国民活を入れ材料として使われたとの見方がある。 翌年3月11日支那事変戦死者第八論功行賞において西住は「申し分ない典型的武人」「忠烈鬼神泣かしむる鉄牛隊長」として陸軍報道部によって顕彰され、殊勲優賞功四級金鵄勲章及び勲五等旭日章授与された。 戦前日本において、日露戦争時広瀬武夫中佐橘周太中佐などが既に「軍神」の尊称を受け著名な存在になっていたものの、軍部によって公式に「軍神」として指定されたのは西住最初であった以降西住は「軍神西住戦車長」などと謳われ広く国民知られることとなる。 また、西住乗っていた1,300発にも及ぶ被弾痕の残る八九式中戦車靖国神社展示され大きな話題となったその他にも、西住テーマにした小説戦時歌謡軍歌)、子供向け伝記数多く作られている。特に、軍部依頼によって書かれ菊池寛による小説『西住戦車長伝』1939年昭和14年)、東京日日新聞大阪毎日新聞連載されると好評博し1940年昭和15年)には松竹により映画化監督吉村公三郎脚本野田高梧担当し上原謙西住役として主演している(後述)。また主題歌の『西住戦車隊長の歌』は北原白秋作詞を、飯田信夫作曲それぞれ担当した

※この「軍神・西住小次郎」の解説は、「西住小次郎」の解説の一部です。
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