下山敏郎とは? わかりやすく解説

下山敏郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/11 06:40 UTC 版)

しもやま としろう

下山 敏郎
下山敏郎
生誕 (1924-05-04) 1924年5月4日
日本 新潟県
死没 (2013-06-30) 2013年6月30日(89歳没)
日本 東京都
出身校 東京大学
職業 実業家、経営者
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下山 敏郎(しもやま としろう、1924年5月4日 - 2013年6月30日)は、日本の実業家。光学機器メーカー、オリンパス光学工業の社長、会長を歴任した。同台経済懇話会副代表幹事。新しい歴史教科書をつくる会賛同者[要出典]


来歴

1945年(昭和20年)陸軍士官学校(第58期)卒[1]

1984年昭和59年)に北村茂男の後を受けてオリンパス光学工業社長に就任。

1980年代半ば、急激な円高で営業利益が急速に落ち込んだオリンパスの業績を挽回するために財テクを行う方針を打ち出す。バブル崩壊後に財テクによる損が発生したため、損失を取り戻すため営業特金を増やした。営業特金だと算定上損が分かりにくくなるというのも理由の1つであったという見方もある。結果、1998年の運用全体の損失額は約950億円となった。因みに、その当時の会計手法からこの時点でこの損失は表沙汰にならなかった。

2001年平成13年)に取締役最高顧問となり、2004年平成16年)退任。

2011年平成23年)のオリンパスM&A疑惑問題では社長在任中に損失隠しがあった可能性が指摘されたが、自分には記憶がない、もしあったとすれば財務部門が行なったのではないか、と語っている[2]

2013年6月30日、オリンパスから損害賠償請求訴訟中に、肺炎による呼吸不全のため東京都内の病院で死去[3]

主な著書

脚注

  1. ^ 山崎正男編『陸軍士官学校』秋元書房、1969年、254頁。
  2. ^ オリンパス下山元社長、損失隠し「記憶にない」 日本経済新聞、2011年11月9日付
  3. ^ オリンパス下山元社長が死去=「損失隠しを決定」-粉飾決算事件 時事通信社、2013年7月4日付 - archive.today(2013年7月4日アーカイブ分)

関連項目

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