武田秀一とは? わかりやすく解説

武田秀一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 06:34 UTC 版)

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武田 秀一
たけだ ひでいち
1919年、旧東プロイセンティルジットにて(右端)
生誕 1878年9月3日
高知県
死没 (1939-05-06) 1939年5月6日(60歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
最終階級 中将
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武田 秀一(たけだ ひでいち、1878年明治11年)9月3日 - 1939年昭和14年)5月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将正四位勲三等功四級は魯男。[1]

履歴

1878年(明治11年)9月、高知県香美郡野市村(現在の野市町)に武田秀山の長男として生まれる。1900年(明治33年)11月、陸軍士官学校(12期)を卒業。翌年6月、歩兵少尉に任官。

千葉陸軍歩兵学校教官などを経て、1923年(大正12年)8月、歩兵大佐に昇進し青森連隊区司令官に就任。1924年(大正13年)8月、歩兵学校教導連隊長となり、豊橋陸軍教導学校長に転じ、1929年(昭和4年)8月、陸軍少将に進級。

1930年(昭和5年)8月、歩兵第37旅団長となり、近衛師団司令部付を経て、1933年(昭和8年)8月、陸軍中将に進んだ。同年12月、第3独立守備隊司令官に発令され、1934年(昭和9年)8月に待命、同年9月、予備役に編入となった。1939年(昭和14年)5月に死去。

栄典

著書

脚注

  1. ^ 『官報』第5484号「叙任及辞令」1901年10月11日。※武田秀一魯男
  2. ^ 『官報』第5484号「叙任及辞令」1901年10月11日。
  3. ^ 『官報』第8185号「叙任及辞令」1910年10月1日。
  4. ^ 『官報』第2129号「叙任及辞令」1934年2月8日。
  5. ^ 『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿』 (昭和8年9月1日調)

参考文献

  • 『高知県人名事典』高知市民図書館、1970年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。




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