幼年期 - 陸軍将校時代とは? わかりやすく解説

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幼年期 - 陸軍将校時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 05:26 UTC 版)

山中峯太郎」の記事における「幼年期 - 陸軍将校時代」の解説

大阪府呉服商営んでいた馬淵浅太郎(旧・彦根藩士)の次男として生まれる。幼少時に、陸軍一等軍医大尉相当官山中恒斎の婿養子となり、のちに恒斎の娘の「みゆき」を娶った大阪偕行社附属小学校(現・追手門学院小学校)、天王寺中学現・大阪府天王寺高等学校)を経て1901年明治33年)、大阪陸軍地方幼年学校(大幼)に入校。大幼を卒業して陸軍中央幼年学校本科(中幼本科)に進み1904年明治37年)に中幼本科18期)を次席総員265名)で卒業して恩賜の銀時計拝受し明治天皇対し御前講演行った原隊となる近衛歩兵第3連隊(近歩三)での隊付勤務経て陸軍士官学校18期)に進んだが、脚気患って自宅療養命じられ大阪山中家戻った養父山中恒斎は、山中小学校に入る前に現役退いて大阪戻り医院営んでいた)。 養父医院経営状態思わしくなかった。中幼本科在校中から、休日には東京麹町大橋図書館(現・三康図書館前身)に通って読書ふけっていた山中は、苦し家計一助になればと、処女作となる小説真澄大尉』を執筆し大阪毎日新聞持ち込んだところ、高く評価されて同紙の連載小説採用された。『真澄大尉』は、主人公である真澄大尉シベリア3年間にわたって民間人に身をやつし、軍事探偵として挺身したことを描いたものであり、真澄大尉は、山中後年代表作亜細亜の曙』などで同じく軍事探偵として活躍する本郷義昭少佐原型といえる。 本来は陸士18期であった山中であるが、自宅療養のために陸士卒業1期遅れ(延期生)、1907年明治40年5月卒業19期、12番/1,068名)、近衛歩兵第3連隊附。陸士19期は一般に中学組のみで、陸幼組を含まないとされるが、山中は陸幼組でありながら19となったレアケース陸士在校中に清国からの留学生交流深めた同年12月陸軍歩兵少尉任官東條英機陸士17期、陸軍大将内閣総理大臣陸軍大臣参謀総長)は山中同じく原隊が近歩三であり、同じ時期に近歩三で隊附勤務をしており、晩年まで親しい仲であった1941年昭和16年)に東條陸軍大臣就任すると、高名な作家となっていた山中東條の「私的顧問」の役割引き受け例え1942年昭和17年)に刊行された『東條首相声明一億陣頭に立ちて』(東條訓示演説をまとめた書)は「山中峯太郎 編述となっている。なお山中は東條より陸士2期後輩であるが、陸大山中明治43年12月入校25期相当)、東條大正元年12月入校27期)であり、山中の方が2年早く入校している。 1910年明治43年11月陸軍歩兵中尉進級同年12月陸軍大学校入校陸大25期相当)。陸大陸士同期生の1割程度しか入校できない難関であり、何度目かの受験中尉になってからようやく合格するのが当たり前であったが、山中少尉受験しての「一発合格」を果たした山中陸士19期(卒業者1,068名)で最初に陸大入校果たし、かつ陸大25期の中で陸士19期は山中のみであった山中陸大入校した翌年1911年明治44年)に辛亥革命起きた1913年大正2年7月に、辛亥革命後孫文から政権奪った袁世凱専制反対する青年将校たち(その多くが、陸士山中交流深めた清国からの留学生であった)によって第二革命起きた旧知中国青年将校らの動き知った山中は、故意陸大から退校させられるように振舞い同年退校処分となって近衛歩兵第三連隊附に戻った帝国陸軍において陸大卒業履歴進級補職大きく影響し陸大卒業履歴持たず陸軍中央官衙陸軍省参謀本部教育総監部)で勤務し、あるいは高級指揮官総軍司令官方面軍司令官軍司令官師団長など)となることは困難であった詳細は「陸軍大学校#陸大卒業者のその後」を参照 山中陸大25期として1913年大正2年11月陸大卒業する予定であったが、半年あまりの在校期間を残して自ら陸大去り帝国陸軍での栄達放棄する決断をした。これは、一日でも早く休職して中国渡り第二革命参加して同志たる中国青年将校たちを助けたい一心からであった1913年大正2年6月山中東京朝日新聞通信員となって上海渡り第二革命身を投じた同年7月始まった第二革命失敗終わり8月には終息した。山中は、日本亡命する同志中国青年将校と共に日本戻った山中帰国したのは同年9月)。 同年12月には再び上海渡り翌年1914年大正3年2月帰国して近衛歩兵第三連隊附となり、軽謹慎1週間懲罰を受け、依願免官となって軍歴閉じた

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