ポスト福井とは? わかりやすく解説

ポスト福井

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 04:50 UTC 版)

武藤敏郎」の記事における「ポスト福井」の解説

2008年3月日本政府武藤総裁候補伊藤隆敏白川方明副総裁候補として国会正式に提示し武藤らは衆参両院議院運営委員会にて所信表明行った3月11日表明した所信では日銀独立性金融政策について持論述べている。市場関係者からは武藤所信対し経済に対して強気でも弱気でもなく現実的安定的な姿勢」と評価する声が挙がり日本経済団体連合会会長御手洗冨士夫も「非常にベスト候補者評した」。 3月12日付の讀賣新聞朝日新聞日本経済新聞中日新聞(含む東京新聞)、毎日新聞産経新聞といった主要各紙は、民主党対し自制を促す社説一斉に掲載した。しかし、同日行われた参議院における採決では、民主共産社民国民新などの反対多数により武藤伊藤不同意となった民主党方針対し第一生命経済研究所アナリストからは「武藤氏副総裁候補白川方明氏は、共に現在の福井俊彦日銀総裁路線継承する述べたのに、両氏同意不同意分け理屈はどこにあるのか」との指摘なされている。なお、参議院での採決時は民主党など野党会派から造反議員が相次ぎ川上義博広田一森田高採決棄権大江康弘木俣佳丈松下新平採決欠席している。 3月13日衆議院本会議にて史上二度目となる同意人事賛否を問う討論開催した後、武藤総裁就任同意した両院からの同意得られなかったため、武藤総裁就任見送られた。3月18日政府改め田波耕治総裁候補として提示したが、この人事案参議院で不同意となった。そのため、福井総裁任期満了日に白川総裁代行任命し翌日白川日本銀行副総裁就任する同時に総裁代行就任した戦前には在任中の死去大蔵大臣就任に伴う退任により5回の例があるが、戦後では初の総裁空席となったこの間モルガン・スタンレー証券ロバート・フェルドマン経済研究主席は、日銀総裁人事などの重要案件には「特定の基準照らして開かれた議論」が望ましいと主張し中央銀行マン官僚財界人19人を「マクロ経済学独立性」「政策決定機関トップつとめた経験」「国内外ネットワーク」の3指標採点し結果を「次期日銀総裁 -- 候補者比較する」と題する調査報告書として発表した英文3月25日和文は翌26日公表英国フィナンシャル・タイムズ紙2008年4月3日号に紹介記事)。最も評価高かったのは、小泉内閣経済財政担当相務めた竹中平蔵日銀出身金融研究所所長経済協力開発機構OECD)の副事務総長務めた重原久美春で、武藤は「マクロ経済学独立性」で17位、ほかの二つ基準18位にとどまり、田波はいずれ基準でも最下位であった白川総裁候補リストには含まれなかった)。 こうして日本国海外では知名度の高い重原日銀総裁就任期待高まったが、4月9日政府妥協策として既に総裁代行就任していた白川総裁候補として国会提示し両院での同意得たうえで、白川日本銀行総裁任命した武藤副総裁時代日本銀行理事務めた白川は、総裁就任会見席上武藤について「立派な副総裁で、尊敬している上司一人だった」と評した

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ポスト福井

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 07:44 UTC 版)

福井俊彦」の記事における「ポスト福井」の解説

2008年3月19日退任前に後継日銀総裁人事進められた。日銀総裁衆参両院同意を必要とする国会同意人事であるが、2007年第21回参議院議員通常選挙に於いて民主党など野党圧勝し参議院では野党過半数占めねじれ国会において参議院同意得られるかが注目された。 2008年3月福田康夫内閣財務省出身日本銀行副総裁武藤敏郎総裁昇格案を国会提示したが、3月12日野党過半数占め参議院で不同意となった。これを受けて福田内閣3月18日同じく財務省出身国際協力銀行総裁田波耕治日本銀行総裁充てる人事案を新たに提出したが、3月19日参議院本会議でまたも野党が田波総裁案を否決不同意したため日本銀行総裁不在という事になったこうした異常事態のなかで、3月19日には内閣から日本銀行副総裁任命され白川方明総裁職代行者として指名され、翌3月20日白川方明副総裁就任後直ち総裁職代行務めたしかしながら日銀総裁空席による総裁代行立場長期間続くと、内外経済問題への日銀対処難しくなる恐れ指摘された。 この間米国モルガン・スタンレー証券ロバート・フェルドマン博士総裁候補目され19名の人物の資質について評点行った次期日銀総裁 -- 候補者比較する」と題する調査報告発表した英文3月25日和文は翌26日公表英国フィナンシャル・タイムズ紙2008年4月3日号に紹介記事)。これによれば日銀出身OECD副事務総長であった重原久美春が「マクロ経済学独立性」を重視する基準第一位政策決定機関トップ経験」「国内外ネットワーク」の2指標重視する基準でも最高位ランキングされた。武藤は「マクロ経済学独立性」で17位、ほかの二つ基準18位にとどまり、田波はいずれ基準でも最下位であった白川方明フェルドマン報告のなかで日銀総裁候補目され19人のリスト入っていなかった。こうして海外では知名度の高い重原日銀総裁就任期待高まったが、2008年4月9日白川総裁昇格させる案が国会で同意となり、白川方明が第30代日銀総裁就任した日銀総裁空白期間20日であった。尚、日本銀行総裁空席という事態は第二次世界大戦前に5回例がある。ちなみに1923年9月に、井上準之助辞任し市来乙彦就任するまでの2日間に空白期間があったのが戦前では最後であり、戦後福井任期切れの2008年3月20日初めて。

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