ポスト江沢民とは? わかりやすく解説

ポスト江沢民

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 07:10 UTC 版)

胡錦濤」の記事における「ポスト江沢民」の解説

1992年第14回党大会が行われる前に鄧小平陳雲など党長老たちは、鄧小平中心とする「第二世代」から江沢民中心とする「第三世代」へスムーズに権力移譲を行う為に後継者選出した。さらに鄧小平は「第四世代」を代表する50歳以下の人物を将来指導者として選出することを提案した。この時、宋平将来指導者として胡錦濤推薦した結果として、胡は党中央政治局常務委員選出された。これは中華人民共和国建国史上2番目の若さだった。同時に党中央書記処書記にも選出された。 党総書記兼国家主席として最高権力者地位にあった江沢民後継者見做されていたが、胡は自身でなく江沢民注目されるように注意を払っていた。2000年江沢民提唱した3つの代表理論対し、自らを毛沢東鄧小平並べるための売名行為との批判出たが、胡はこの理論宣伝した。そのため、彼は穏やかで礼儀正く、協力関係を築くのに熟練しているというイメージ持たれた。1998年には国家副主席就任して訪日の際は天皇との会見などをこなすも、江は胡が対外関係でより積極的な役割を担うことを期待した1999年コソボ紛争におけるNATO軍の空爆中国大使館誤爆された際には、中国政府代表してテレビ演説行った胡錦濤はこの演説で「アメリカはじめとするNATO軍は我々の大使館攻撃し人命奪い建物破壊した」「アメリカの爆撃中国主権侵害であり、『犯罪行為』で『野蛮な行動』だ」「市民学生デモ人民怒りあらわれだ」と述べたその上で中国政府全ての合法的なデモ支持していることを表明し国民には、国家根本的利益考えて過度な反応控えるよう呼びかけた。 2002年第16回党大会権力移譲が行われ、江が権力中心から退いた。しかし江は自身派閥である上海幇から呉邦国賈慶林曽慶紅黄菊李長春中央政治局常務委員配置し、また自身党中央軍事委員会主席のポスト手放さず院政を敷くものだと思われていた。 胡錦濤は常に自分隠し通してきており、「これといって目立つ特徴がないのが胡錦濤最大特徴」とされた。副主席として訪米した際は胡錦濤の名前を捩ってその控え目寡黙かつミステリアスな雰囲気を"Who's Hu?"とアメリカメディア揶揄した2002年4月25日午後マレーシア訪問中の胡錦濤に対して香港記者インタビュー行いその中で海外メディアは、あなたを『謎に包まれ人物だ』といっていますが、ご自身ではいかが思われますか」と尋ねた。これに対して胡錦濤は「その評価はあまり適切ではありませんね」と返答した

※この「ポスト江沢民」の解説は、「胡錦濤」の解説の一部です。
「ポスト江沢民」を含む「胡錦濤」の記事については、「胡錦濤」の概要を参照ください。

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