ポスト法廷会議
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 00:53 UTC 版)
詳細は「アル・シャバブ (ソマリア)」を参照 1月5日から、法廷会議はラス・カンボニに駐留するエチオピア軍と暫定政府軍を攻撃したものの、航空攻撃など米軍の介入をうけ敗退し、その後構成員は地下に潜ることとなった。多くのメンバーは暫定政府高官の暗殺や軍補給部隊への攻撃、ロケット砲・迫撃砲などを使った一撃離脱戦法などで抵抗していたが、組織だった行動ができる少数のグループは、評議会議長アウェイスの舎弟ハシ・ファラーが幹部をつとめるイスラム過激派アル・シャバブへ合流する。一方、これまで法廷会議を支援していたエリトリアでは、9月になって構成員があらたにソマリア再解放同盟(英語版)(ARS)を名乗り再出発した。 2008年8月には、暫定政府とソマリア再解放同盟が停戦協定を締結。しかしアウェイスら一部メンバーはこれに反発、最終的に再解放同盟は幹部会議長アフマドが率いる主流派(ジブチ派)と、アウェイスらの強硬派(エリトリア派)に分裂した。 2009年1月31日、ジブチでソマリア国会が開会され、ジブチ派のアフマドが大統領に選任された。これに対し、2008年末までにソマリア南部を支配下に置いたアル=シャバブなどいくつかのイスラム過激派は、アフマドと暫定政府への攻撃続行を宣言した。また、このころ再解放同盟エリトリア派など4派が連合し、新勢力ヒズブル・イスラムを形成している。 過激派グループは2009年に入ってからソマリア全土で暫定政府へのテロや攻撃を繰り返し、5月には部隊がモガディシオに肉迫。さらに6月20日には、大統領官邸が反政府勢力に包囲されたとしてアフマドが非常事態宣言を発令するなど、法廷会議なきあともソマリアの状況は予断を許さない。
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