福田内閣
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福田内閣(ふくだ ないかく)
福田赳夫内閣
- 第8代自由民主党総裁の福田赳夫を首班とする内閣。
- 1976年(昭和51年)12月24日に発足し、1977年(昭和52年)11月28日まで続いた内閣 →「福田赳夫内閣」を参照。
- 1977年11月28日に発足し、1978年(昭和53年)12月7日まで続いた上記の改造内閣 →「福田赳夫内閣 (改造)」を参照。
福田康夫内閣
- 上記の福田赳夫の長男で、第26代自由民主党総裁の福田康夫を首班とする内閣。
- 2007年(平成19年)9月26日に発足し、2008年(平成20年)8月1日まで続いた内閣 →「福田康夫内閣」を参照。
- 2008年8月2日に発足し、同年9月24日まで続いた上記の改造内閣 →「福田康夫内閣 (改造)」を参照。
福田内閣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:06 UTC 版)
2007年9月25日に開かれた内閣総理大臣指名選挙(首班指名選挙)において、与党が過半数を占める衆議院では圧倒的多数で指名されるが、逆に野党が過半数を占める参議院では、民主党の小沢一郎が指名されるという“ねじれ国会”(逆転国会)の象徴的現象が起きた。両院協議会が開催されるが議論はまとまらず、法規に則り衆議院の議決が国会の議決となり、福田が内閣総理大臣に指名された。内閣の組閣に当たり、記者会見で福田は、「一歩でも違えば、自民党が政権を失う可能性もある」と指摘した上で、「背水の陣内閣」と自身の内閣を命名した。 翌9月26日に、宮中での親任式を経て正式に第91代内閣総理大臣に就任し(福田康夫内閣)、日本憲政史上初の親子での総理大臣就任となった。就任年齢となる71歳は、奇しくも父・赳夫が首相に就任した年齢と同じ(赳夫は71歳11ヶ月と10日、康夫は71歳2ヶ月と10日)である。 同年11月、福田と民主党代表小沢一郎との間で大連立構想が模索されたが頓挫し、一時は小沢が代表辞任を表明するなど混乱したが、その後、与野党は対決姿勢を強めることになった。第169回国会では、問責決議が1998年10月16日の額賀福志郎以来10年ぶりに参議院で可決されたが、翌日には内閣信任決議が衆議院で可決された。なお、首相への問責決議案が国会で可決されたのは、田中義一、吉田茂に続き3人目であり、日本国憲法下で参議院からは初である。 「福田康夫内閣」、「大連立構想 (日本 2007)」、「第168回国会」、および「第169回国会」も参照
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