福田内閣とは? わかりやすく解説

福田内閣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/06 04:39 UTC 版)

福田内閣(ふくだ ないかく)

福田赳夫内閣

福田康夫内閣

  • 上記の福田赳夫の長男で、第26代自由民主党総裁の福田康夫を首班とする内閣。
    • 2007年(平成19年)9月26日に発足し、2008年(平成20年)8月1日まで続いた内閣 →「福田康夫内閣」を参照。
    • 2008年8月2日に発足し、同年9月24日まで続いた上記の改造内閣 →「福田康夫内閣 (改造)」を参照。

福田内閣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:06 UTC 版)

福田康夫」の記事における「福田内閣」の解説

2007年9月25日開かれた内閣総理大臣指名選挙首班指名選挙)において、与党過半数占め衆議院では圧倒的多数指名されるが、逆に野党過半数占め参議院では、民主党小沢一郎指名されるという“ねじれ国会”(逆転国会)の象徴的現象起きた両院協議会開催される議論まとまらず法規則り衆議院議決国会の議決となり、福田内閣総理大臣指名された。内閣組閣に当たり、記者会見福田は、「一歩でも違えば自民党政権を失う可能性もある」と指摘した上で、「背水の陣内閣」と自身内閣命名した。 翌9月26日に、宮中での親任式経て正式に91内閣総理大臣に就任し(福田康夫内閣)、日本憲政史上初の親子での総理大臣就任となった就任年齢となる71歳は、奇しくも父・赳夫が首相に就任した年齢と同じ(赳夫は71歳11ヶ月10日康夫71歳2ヶ月10日)である。 同年11月福田民主党代表小沢一郎との間で大連立構想模索されたが頓挫し一時小沢が代表辞任表明するなど混乱したが、その後与野党対決姿勢強めることになった第169回国会では、問責決議1998年10月16日額賀福志郎以来10年ぶりに参議院可決されたが、翌日には内閣信任決議衆議院可決された。なお、首相へ問責決議案国会で可決されたのは、田中義一吉田茂続き3人目であり、日本国憲法下参議院からは初である。 「福田康夫内閣」、「大連立構想 (日本 2007)」、「第168回国会」、および「第169回国会」も参照

※この「福田内閣」の解説は、「福田康夫」の解説の一部です。
「福田内閣」を含む「福田康夫」の記事については、「福田康夫」の概要を参照ください。

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