福田内閣実現への第一歩
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永野はあきらめず。"三木おろし"で水面下の工作を行う。三木内閣ができて半年後の1975年春、東京渋谷の南平台にある小林中邸で開かれた園遊会で、小林、永野、椎名副総裁と金丸信国土庁長官が顔を揃え、小林が金丸に「どうだい、三木内閣は」と水を向けると金丸が椎名に「椎名先生、総理の選び方を間違えました」とぶつけるように言った。金丸は三木を首相の任にあらずと言い切った。これに対して椎名が「まったく間違えた。佐藤さんに騙された」と吐き出すように話した。永野は「ウーン、なるほどね」と腕を組み考え込んだ。その後半年ほどして、永野、金丸と永野家の番頭で、田中派の佐藤守良が赤坂の料亭「重箱」で会合し、永野は、経済界での三木首相に対する根強い不信感を説明しつつ、「やはり、保守本流内閣を作らねば。そのためには田中さんと福田さんを仲良くさせなければならない。どうしたらいいだろう」と切り出した。金丸は「福田さんは永野さんに口説いてもらうとして、角さんを口説くには西村のじいさん(西村英一)しかいない。まず、じいさんから口説かなくては」と提案した。これを受けて永野が推進役となり、三木内閣を早く倒して福田内閣を実現させる狙いで1975年12月26日夜、同じ「重箱」で、永野、金丸と福田赳夫、西村英一の四者会談が開かれた。永野が「角福を仲良くさせたい。西村さんに人肌脱いでいただきたい」と要請すると、西村は「それはなかなか大変だ。容易なことではない」などと難色を示した。そこで金丸が「角さんはともかく、福田内閣を作るには保利さん(保利茂)の理解を得なくては」と提案し、すかさず永野が「保利さんを口説き落とすのは金丸さん、あなたお願いします」と指示した。この後、金丸が当時東京ヒルトンホテル6階にあった保利事務所を一週間ぶっ続けで通って保利を口説き落とした。保利ははじめ「福田さんはだめだ。あんな男を首相に推す気になれない」と冷たかったが「福田さんのほかに無いじゃないですか」という説得に折れて金丸に白紙委任状を出した。これを受け、福田が五本木にあった保利邸を訪問し頭を下げ、福田内閣実現への第一歩となった。金丸は「永野さんの調整努力が、その後の挙党協による三木退陣の基礎になった」と話した。また「永野さんは政治家の面倒をよく見た人だった。私も三木内閣の閣僚のときから、永野さんの肝いりで、財界関係者60人による兆寿会を作ってもらった」と感謝の気持ちを現した。
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