福田優勢の流れへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 09:47 UTC 版)
「2007年自由民主党総裁選挙」の記事における「福田優勢の流れへ」の解説
メディアなどではさまざまな有力人物が取りざたされ、前回総裁選で立候補辞退した額賀福志郎(津島派)がもっとも早く立候補の意思を表明した。また、小泉チルドレンらは前総裁の小泉純一郎(無派閥)へ再登板を求めて「小泉総理の再登板を実現する有志の会」 を立ち上げるなどの運動を行ったが、小泉本人は出馬を完全に否定した。 また、いわゆる「麻生クーデター説」が安倍の辞意表明当日に放送された日本テレビ『NEWS ZERO』での報道、小泉チルドレンのひとりである片山さつきの発言 などで流布され始めた。これは、第1次安倍改造内閣組閣前のアジア諸国外遊中に安倍が人事権を麻生と内閣官房長官の与謝野馨に奪われ、農林水産大臣・遠藤武彦の辞任問題やテロ特措法の延長問題などが、安倍を無視して麻生・与謝野ライン主導で決定されていくことに安倍が絶望して辞意を表明したとする説である。このクーデター説は選挙後に全くのデマであったことが明らかとなるが、このことは麻生有利の流れを決定的に転換することとなった(→中川秀直#麻生クーデター説も参照)。 「反麻生」への動きが党内にくすぶるなか、9月13日には元官房長官の福田康夫(町村派)が出馬の意向を示す。福田は古賀誠(古賀派)、山崎拓(山崎派)、谷垣禎一(谷垣派)など、政治姿勢の近しいとされる派閥の領袖たちと次々と会談して支持を取り付けたほか、津島派でも額賀が福田との会談後に自身の出馬断念と福田支持を表明した(→麻生包囲網も参照)。 また、小泉も「福田さんも小泉政権を支えてくれた人」と福田支持の意向を持っており、小泉チルドレンが多く所属する新しい風(武部グループ)も福田支持を打ち出すことになった。こうして、麻生派を除く全派閥が福田支持を表明するという状況のなかで総裁選はスタートした。 最終的に総裁選候補は福田と麻生の二人の一騎討ちとなった。自民党総裁選の候補が二人による一騎討ちになったのは1995年の総裁選以来となった。
※この「福田優勢の流れへ」の解説は、「2007年自由民主党総裁選挙」の解説の一部です。
「福田優勢の流れへ」を含む「2007年自由民主党総裁選挙」の記事については、「2007年自由民主党総裁選挙」の概要を参照ください。
- 福田優勢の流れへのページへのリンク