町村派
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2006年10月19日、森は派閥会長を退任し、町村信孝が同派会長に就任。派閥名は「町村派」となった。10月26日の派閥総会で森は同派名誉会長に就任した。町村への派閥継承は、幹事長に就任したもう一方の実力者中川秀直とのバランスを考慮したものだった。その影響力や行動などから領袖から退いた後も森が事実上の派閥のオーナーと考えられていた。 同年9月、福田康夫が総理総裁になり森・小泉・安倍・福田の4代連続で総理総裁を輩出する。町村が福田康夫内閣の官房長官に就任したことにより、派閥会長職を廃して代わりに代表世話人を置くことを決定。代表世話人には町村・中川秀直・谷川秀善(参院)の3人が就き、集団指導体制となった。官房長官という要職での入閣により閥務に比重が置けない町村と、党幹事長を辞任して派閥に復帰した中川の派内での処遇を考慮した結果の措置であった。報道での派閥名は町村派から変更されなかった。 2007年7月に行われた第21回参議院議員通常選挙の結果自民党は敗北したが、町村派は参議院でも津島派を抜き、衆参両院で党内最大派閥となった。数を減らした他派閥に配慮して、無派閥議員への派閥勧誘は他派閥が終えるのを待ってから行った。 2008年3月、総理総裁就任以来派閥を抜けていた安倍晋三が「相談役」として復帰。安倍復帰前からの相談役としては衛藤征士郎らがいる。一方、小泉純一郎は首相退任後は無派閥のまま、2009年に政界を引退した。 2008年9月、福田総裁退任に伴う自民党総裁選では、町村も有力な総裁候補ではあったものの、安倍・福田と2代にわたって政権運営に失敗したことから、森・安倍・町村は安倍・福田政権を支え続けた麻生太郎を支持し、清和会から総裁候補を擁立しない方針を採った。中川がこの方針に反して小池百合子を擁立したため、派内の分裂が表面化した。麻生内閣発足に伴い幹事長ポストに細田博之が就任。町村は官房長官を離任したが、集団指導体制に変更はなかった。 2009年1月に入り、2011年からの消費税増税を目指した麻生政権に対し、中川は「その瞬間に判断する」などと本会議での造反をちらつかせ抵抗した。一時は決裂の様相も見られた。結局税調幹部でもある町村が増税実施時期を明記しない形での中川との妥協案を作成し対立は収束したが、政権に反対した動きは森、安倍などの怒りを買い、中川を代表世話人から外す考えが示された。 2009年2月5日の派閥総会で森が提案した人事案は、町村を会長に昇格させ、中川と谷川を代表世話人として続投させるというものであった。中堅、若手の一部からは反対する声もあったが、最終的に人事案は了承され、町村が会長に復帰することになった。同年3月5日の総会で森が最高顧問から安倍と同じく相談役に就くことが決まり、町村会長のもとでの新体制が固まった。 2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙により、衆議院における勢力は公示前の3分の1に減少し、古賀派に次ぐ第2位に後退したが、参議院と合わせ、全体として最大派閥の座は維持した。9月3日、元防衛大臣の小池百合子が「派閥単位ではなく、党まるごとで一致団結すべき」として退会した。 2009年9月に発足した谷垣新執行部では総裁および党幹部ポストから外された。町村派が党執行部ポストに就任できなかったことは、福田派時代の1979年の大平政権以来30年ぶりのことであった。 同年10月、町村の意向で代表世話人の廃止が了承された。同月末、代表世話人廃止により派内で事実上失脚した中川秀直が退会した。 2010年8月12日の自民党参議院議員会長選挙をめぐり、森喜朗が音頭を取って町村派、額賀派、古賀派は谷川秀善参院幹事長を推した。しかし町村派の安倍晋三、世耕弘成など中堅・若手が「派閥で動くのは良くない」と造反し、伊吹派の中曽根弘文を推薦した。選挙の結果、中曽根が参院議員会長に就任した。 町村派では9月2日に幹部会を開き、造反議員の処分を検討したが結論は出ず、森は、谷川の票固めに失敗した鈴木政二をなじったり、安倍に対する不満をあらわにしたりした挙句、「額賀派や古賀派に合わせる顔がない」「もう面倒見切れない」と派閥退会届を提出した。12月11日、会長の町村が正式に届を受理した。 2012年9月の総裁選において、会長の町村が出馬を表明。復帰後派内に影響力を持つ安倍に支援を要請するが、安倍はこれを拒否して自らも出馬したため分裂選挙に陥った。派内では町村支持が7割程度と優勢で、安倍は他派閥や無派閥議員の支援を得て選挙戦を戦った。選挙戦の最中に町村は体調不良で活動を中止するも、そのまま投票日まで立候補は取りやめなかった。これは立候補を取りやめた場合、自身への票がそのまま安倍に流れることを警戒したためともいわれる。結局、投票で安倍が当選、自身2度目の総裁に返り咲いた。 第46回衆議院議員総選挙の結果、自民党が政権を奪還、安倍が内閣総理大臣に再び就任。 第23回参議院議員通常選挙の結果、自民党が参議院第一党に返り咲き、自公連立が参議院過半数を確保したことを受け、会員の山崎正昭が参議院議長に就任。
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