もり‐は【森派】
森派
森派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 07:48 UTC 版)
森喜朗が三塚の後継会長となった1998年末に、かつての清和会にちなんで清和政策研究会へと改称した。2000年に森が首相に就任、福田以来の総裁派閥となった。森は派閥を一時的に離脱したため、小泉純一郎が2000年4月から清和政策研究会会長に就任し森内閣を支えた。派閥を継承した森は同じく発言力を増しつつあった小泉と組み、混乱していた派内を掌握した。ただし、森内閣は基本的には小渕前政権を継承しており、野中広務、村上正邦、青木幹雄といった前内閣を支えた他派閥の実力者に依存していた。なお、小泉が会長を務めていた期間も呼称は森派のままであった。 森の退陣後に小泉が首相に就任、森は派閥の会長に復帰した。小泉は派閥を恒久的に離脱したため、会長総裁分離が定着した。小泉は最大派閥であった橋本派を「抵抗勢力」と名指し、三木内閣以来25年ぶりに同派を執行部から排除する一方、青木幹雄が実力者だった同派の参院側の協力を得て最大派閥を牽制・分断した。その結果、2005年の衆議院選挙で党内第一派閥へと躍り出て、「清和会支配」に移行した。 2006年、小泉総裁退任に伴う自民党総裁選挙では有力候補として同じ森派の安倍晋三・福田康夫が挙がった。森派はかつて安倍・福田の父親が率いた派閥であることも注目され、2人が立候補すれば森派の分裂も予想されたものの、福田が不出馬を宣言したため派閥分裂の危機は回避され、9月に安倍が総裁に選出された。
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