麻生クーデター説
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2007年9月12日、安倍晋三は突如首相辞任を発表。第21回参議院議員通常選挙で歴史的敗北を喫した後もその職に留まり、政策遂行への意欲を示し続けていただけに、突然とも言うべき辞任宣言には様々な憶測が乱れ飛んだ。その決定的な理由とされたのがいわゆる「麻生クーデター説」である。つまり、インドなどアジア諸国外遊を終え帰国後発足した第1次安倍改造内閣で安倍はまったく人事権を行使できず、自民党幹事長に就任した麻生太郎と内閣官房長官の地位に就いた与謝野馨が完全に人事の主導権を握り、最も信頼していた麻生に裏切られたと感じた安倍が絶望の極地に達し、辞任へとつながった。これがクーデター説と言われるもので、安倍首相辞任の同日に放送された『NEWS ZERO』で流布され始める。 これにより、町村派内で麻生擁立論が急速にしぼむなど、安倍後任に当初絶対的有利とされていた麻生は一夜にして失速、翌日出馬表明した福田康夫元官房長官に為公会を除く全派閥幹部や小泉純一郎前首相が支持を表明し、福田総裁への流れが作られることになる。だが、このクーデター説は後に風説の流布、デマであることが明らかになる。『週刊新潮』、『週刊文春』両9月27日号はクーデター説は悪質なデマであり、この件をマスコミに流したのが中川であると断じている。また、「クーデター説」定着に一役かったとされる片山さつきとはかねてから近しい関係にあり、郵政選挙の際、中川は応援に出向いている。
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