小野義一とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 小野義一の意味・解説 

小野義一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/26 17:30 UTC 版)

小野義一

小野 義一(おの ぎいち、1876年明治9年)10月7日1950年昭和25年)5月25日)は、日本の大蔵官僚政治家大蔵次官衆議院議員東京市助役

経歴

高知県出身。小野義為の長男として生まれる。高知一中東京府立四中を経て、1898年7月、第一高等学校政治科を首席で卒業。1903年7月、東京帝国大学法科大学政治学科を首席の優等で卒業し、銀時計を授与された。東大の同期には小川郷太郎上杉慎吉馬場鍈一ら。同年同月、大蔵属に任官し主計局参事官付となる。同年11月、文官高等試験行政科試験に次席合格。この時の首席合格者は馬場鍈一だった[1]

1906年11月、煙草専売局事務官に就任。以後、樺太民政署事務官兼大蔵書記官、大蔵省参事官専売局製造部調査課長、同官房調査課長、大蔵省大臣官房会計課長、兼大蔵大臣秘書官、兼日本興業銀行監理官、大阪税関長、神戸税関長、大蔵省銀行局長、同理財局長などを歴任し、1924年1月に退官。

1924年5月、第15回衆議院議員総選挙に高知県第五区から出馬し当選。同年6月、大蔵次官に政治任用され、同年8月まで在任した。1928年1月、東京市助役に就任し、1929年2月まで在任。1942年4月の第21回衆議院議員総選挙で高知県第二区に翼賛政治体制協議会推薦(旧立憲民政党)で出馬し当選。のち、日本進歩党に所属し、衆議院議員を通算二期務めた。戦後1947年公職追放となった。

その他、鉄道会議議員、拓殖大学教授を務めた。

栄典

家族

  • 壽子(妻)- 学習院卒業。法制局長官を務めた男爵・尾崎三良の長女。
  • 小野義盛(長男)- 東京銀行デュッセルドルフ支店長を務めた[5]
  • 眞子(長女)- 岩手木炭製鉄社長・藤田俊三の長男である藤田俊正に嫁いだ。
  • 禮子(二女)
  • 信子(三女)[6]

脚注

  1. ^ 『馬場鍈一伝』(青木信光編、故馬場鍈一氏記念会、1945年) P31
  2. ^ 『官報』第7159号・付録「叙任及辞令」1907年5月14日。
  3. ^ 『官報』第1038号「叙任及辞令」1916年1月20日。
  4. ^ 『官報』第2640号「叙任及辞令」1921年5月21日。
  5. ^ 『大衆人事録』(第20版 東京篇)帝国秘密探偵社、1958年、お171頁。NDLJP:3025815/133 
  6. ^ 『人事興信録』(第8版)人事興信所、1928年、オ32頁。NDLJP:1078684/333 

参考文献

  • 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年、p50-51。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「小野義一」の関連用語

小野義一のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小野義一のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの小野義一 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS