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黒田英雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/24 15:36 UTC 版)

黒田英雄

黒田 英雄(くろだ ひでお、1879年明治12年)9月2日 - 1956年昭和31年)11月1日[1])は、日本大蔵官僚政治家大蔵次官貴族院議員参議院議員

経歴

岡山県出身。岡山県会議員で旧津山藩家老黒田一道の長男として生まれる。開成中学第一高等学校を経て、1905年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を優等で卒業し、銀時計を授与された。大蔵省に入り大蔵属として理財局参事官付となる。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。

1905年12月、税務監督局税務属兼大蔵属に就任し東京税務監督局に配属。以後、税務監督局事務官、丸亀税務監督局長、大蔵省参事官専売局主事兼大蔵省参事官、兼大蔵大臣秘書官理財局国庫課長、大蔵省銀行局長、同主税局長などを歴任。

1927年4月、大蔵次官に就任し、1929年7月まで在任。大東京鉄道会社社長を経て、1931年12月、大蔵次官に再任された。1934年5月、帝人事件により休職となるが、1937年12月に無罪判決を受けて退官した。

1932年12月23日、貴族院勅選議員に任じられ[2]無所属倶楽部に属し1947年5月2日の貴族院廃止まで在任[1]。その他、鉄道会議議員、酒販組合中央会会長などを務めた。

戦後、1947年4月、第1回参議院議員通常選挙岡山県選挙区日本自由党から出馬し当選。1953年4月の第3回参議院議員通常選挙には出馬せず引退し、参議院議員を1期務めた。その他、参議院財政及び金融委員長、参議院仮議長東洋火災海上保険社長、財団法人・開成学園園長などを歴任。

1956年11月1日死去、77歳。死没日をもって正四位から従三位に叙される[3]。墓所は谷中霊園(甲3-8)

栄典

位階
勲章等

親族

  • 弟 黒田鴻伍(商工官僚)
  • 妻の甥に杉浦敏介

脚注

  1. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』120頁。
  2. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、40頁。
  3. ^ 『官報』第8960号83頁 昭和31年11月6日号
  4. ^ 『官報』第2106号「叙任及辞令」1919年8月12日。
  5. ^ 『官報』第2640号「叙任及辞令」1921年5月21日。
  6. ^ 『官報』第4305号・付録「辞令二」1941年5月17日。

参考文献

  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
  • 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
議会
先代
新設
参議院財政及び金融委員長
1947年 - 1948年
次代
廃止
官職
先代
田昌
河田烈
大蔵次官
1927年 - 1929年
1931年 - 1934年
次代
河田烈
藤井真信



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