石田美栄とは? わかりやすく解説

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石田美栄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/27 22:01 UTC 版)

石田 美栄(いしだ みえ、1937年昭和12年〉8月11日 - )は、日本政治家。元参議院議員(1期)。元衆議院議員(1期)。

石田 美栄
いしだ みえ
生年月日 (1937-08-11) 1937年8月11日(88歳)
出身校 津田塾大学英文科
所属政党 無所属→)
民社党→)
新進党→)
新党友愛→)
民主党
選挙区 岡山県選挙区
当選回数 1回
在任期間 1995年7月23日 - 2001年7月22日
選挙区 旧岡山2区
当選回数 1回
在任期間 1993年7月18日 - 1995年7月6日
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人物

津田塾大学英文科を卒業、その後中国短期大学教授となった。1993年第40回衆議院議員総選挙民社党幹部林保夫の後継として岡山2区から立候補し江田五月社民連代表の支援も有り初当選した(無所属)。

衆議院議員任期途中の1995年、同年7月23日執行の第17回参議院議員通常選挙岡山県選挙区(当時定数2)より新進党公認で立候補したことで、告示日の同月6日付で公職選挙法の規定により衆議院議員を退職(自動失職)となった。投開票の結果、得票数2位で当選し参議院議員に鞍替えとなった。

1996年9月に明日の内閣厚生大臣、11月に明日の内閣文部科学技術大臣となった。

1998年新党友愛の結成に参加し、その後民主党へ合流。1999年7月、参院本会議国旗及び国歌に関する法律に賛成票を投じた。

2001年参議院一人区となった第19回参議院議員通常選挙片山虎之助に敗れ落選した。

2022年7月18日、「故江田五月さんを偲ぶ会」が開催され、同じ岡山県選出の元国会議員である石田もこれに参加した[1][2][3]

政策

  • 選択的夫婦別姓制度導入に賛成。2000年には、石田ら超党派女性国会議員50名が、夫婦別姓選択制を求めて当時の総理に申し入れを行った。申し入れでは、「とくに若い世代では、夫婦別姓選択制を望む声が高まっています。政府には、世論を喚起するなど、夫婦別姓選択制を導入するための努力を望む」としている[4]

元秘書

選挙歴

当落 選挙 執行日 年齢 選挙区 政党 得票数 得票率 定数 得票順位
/候補者数
政党内比例順位
/政党当選者数
第40回衆議院議員総選挙 1993年07月18日 55 旧岡山県第2区 無所属 9万3135票 17.54% 5 2/7 /
第17回参議院議員通常選挙 1995年07月23日 57 岡山県選挙区 新進党 23万2211票 33.29% 2 2/5 /
第19回参議院議員通常選挙 2001年07月29日 63 岡山県選挙区 民主党 23万6612票 28.77% 1 2/4 /

脚注

議会
先代
新設
参議院総務委員長
1998年
次代
竹村泰子



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