セコム損害保険
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| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 市場情報 | 非上場 |
| 略称 | セコム損保 |
| 本社所在地 | 〒102-8645 東京都千代田区平河町二丁目6番2号 |
| 設立 | 1950年(昭和25年)2月4日 (東洋火災海上保険株式会社) |
| 業種 | 保険業 |
| 法人番号 | 3010001047904 |
| 金融機関コード | 9863 |
| 事業内容 | 損害保険事業 |
| 代表者 | 尾関一郎(代表取締役会長) 金子博継(代表取締役社長) |
| 資本金 | 168億8百万円(2010年3月現在) |
| 売上高 | 371億58百万円(2010年3月期) |
| 総資産 | 1,819億85百万円 (2010年3月31日現在) |
| 従業員数 | 518人(2010年3月31日現在) |
| 決算期 | 3月31日 |
| 主要株主 | セコム(株) 97.12% 日本化薬(株) 0.36% (株)横浜銀行 0.22% 朝日生命 0.2% 富国生命0.17% (2011年3月31日現在) |
| 外部リンク | https://www.secom-sonpo.co.jp/ |
セコム損害保険株式会社(セコムそんがいほけん、SECOM General Insurance Co., Ltd.)は、セコムグループの損害保険会社。本社は東京都千代田区。前身は東洋火災海上。
沿革
1950年2月、前身の東洋火災海上保険株式会社が設立される[注 1]。初代会長は元日本化薬会長の原安三郎、初代社長は元大蔵次官の黒田英雄。設立にあたり、安田火災海上保険のスタッフが設立準備委員として招かれた。
政財界の大物が名を連ねたこの会社は、全国にまたがるグループ関連企業を取り込んでいった。特に開発銀行が爆薬にからみ全面的に探鉱を中心に後押ししていたことは大きい。1974年代、原安三郎の甥である坂野常和が社長に就任。1968年には、積み立て型火災保険『ダブル保険』を発売。1974年、東洋火災は世界で初めての自転車保険(バイコロジー保険)の開発に成功。業務の岡部という人物が大蔵省にて認可表彰を受けたことは当時の新聞にも掲載された。
セコムの資本参加の経緯
1978年、セコムの飯田亮(いいだまこと)は、東洋火災トップであった坂野常和に接触した[1]。
1998年、規制緩和によって保険料の自由化が進み、その際、セコムの資本参加により傘下に入る。同年9月、セコム東洋損害保険株式会社に社名を変更。2000年10月に現社名に変更された。
2004年10月、セコム損害保険株式会社は富国生命保険相互会社と業務提携した。
歴代社長
東洋火災海上保険社長
- 1950年 - 1956年:黒田英雄
- 1956年 - 1963年:金谷倭四郎
- 1963年 - 1974年:梯太郎
- 1974年 - 1979年:坂野常和
- 1979年 - 1986年:中田千束
- 1986年 - 1993年:高尾栄蔵
- 1993年 - 1998年:川崎正道
セコム東洋損害保険社長
- 1998年 - 2000年:山中征二
セコム損害保険社長
- 2000年 - 2002年:山中征二
- 2002年 - 2010年:吉田保幸
- 2010年 - 2016年:尾関一郎
- 2016年 - 2020年:金子博継
- 2020年 - 2024年:中村毅
- 2024年 - :石川善朗
脚注
- ^ 日本経済新聞『私の履歴書』(第28回)
注釈
- ^ 1912年設立の東洋火災は上記法人とは別会社である。
外部リンク
固有名詞の分類
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