菊竹博之
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菊竹 博之(きくたけ ひろゆき、1858年 - 1920年5月9日)は、明治時代の自由民権運動家であり、福岡県会議員や福富村(現うきは市の一部)村長を務めた政治家である。弟にジャーナリストの菊竹六鼓(本名:菊竹淳)がいる。
- ^ 明治初期に菊竹一族は沢潟屋道三郎酒場(経営者菊竹道三郎)として吉井町誌に記載されている。この時代、造り酒屋も酒場と称していた。 吉井町誌編纂委員会 編集『吉井町誌 第二巻』(旧)吉井町発行、1979、331頁より。菊竹博之の祖父忠左衛門は分家ではあるが、造り酒屋として成功し一代で本家をしのぐ大地主となり様々な事業も手がけた。木村『六鼓菊竹淳』444頁。
- ^ 『図説久留米・小郡・うきはの歴史』176頁。
- ^ a b c 木村『六鼓菊竹淳』444頁。
- ^ 木村『六鼓菊竹淳』445頁。
- ^ 『浮羽郡案内』76-77頁。昭和50年(株)文献出版による復刻本より。
- ^ a b c 木村『六鼓菊竹淳』446頁。
- ^ 『東京経済雑誌』491号、ページ数未記載(復刻版、1982年、日本経済評論社より)。
- ^ a b 木村『六鼓菊竹淳』448頁。
- ^ a b 前田『剣よりも強し』75-79頁。
- ^ a b 木村『六鼓菊竹淳』447頁。
- ^ 田主丸町植木(ふえき)諏訪神社の碑には明治40年、博之が浮羽郡苗木同業組合の初代組合長であったことが記されている。
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