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奥山則男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/15 10:14 UTC 版)

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奥山則男
おくやま のりお
生年月日 1926年8月29日
出生地 日本 山形県新庄市
没年月日 (2016-04-29) 2016年4月29日(89歳没)
出身校 東京学芸大学卒業
中央大学経済学部卒業
前職 日本経済新聞社社員
所属政党 自由民主党
称号 勲二等瑞宝章
藍綬褒章

在任期間 1993年8月 - 1995年9月

選挙区 練馬区選挙区
当選回数 8回
在任期間 1971年4月11日 - 2001年7月22日

当選回数 2回
在任期間 1963年 - 1969年
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奥山 則男(おくやま のりお、1926年8月29日 - 2016年4月29日)は日本の政治家。練馬区議会議員(2期)、東京都議会議員(8期)、第34代東京都議会議長を歴任した。

経歴

1926年8月29日[1][2]山形県新庄市に生まれる[1]東京学芸大学卒業後[1]1950年中央大学経済学部卒業し、日本経済新聞社に入社する[1]。営業部長を経て、1963年に練馬区議会議員に当選し、2期6年務める[1][2]。1964年、広放社を設立し、代表となる[1]。1971年4月11日の東京都議会議員補欠選挙に練馬区選挙区から立候補し、初当選する[1][2][3]。都議会では、公害首都整備委員会委員長(1974年1975年から1976年[注釈 1])、都市計画公害委員会委員長(1976年)、予算特別委員会委員長(1983年)、東京都監察委員(1983年から1984年)、全都道府県監察委員協議会連合会会長(1983年から1984年)、都議会自民党幹事長(1985年から1986年)、議会運営委員会委員長(1985年から1986年)を歴任した[1][2]1993年8月に第34代東京都議会議長に就任[1][2][4]1994年からは全国都道府県議会議長会会長にも就任[1][2]1995年9月に議長を退任[1][2][4]2001年の選挙には立候補せず、引退[1][3]。2016年4月29日に死去[1]

栄典

脚注

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注釈

  1. ^ 「東京都議会歴代議員略歴集録 昭和18年〜平成13年」に記載の表記を尊重

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 日外アソシエーツ「WhoPlus」
  2. ^ a b c d e f g h i 東京都議会議会局管理部総務課『東京都議会歴代議員略歴集録 昭和18年〜平成13年』東京都議会議会局管理部総務課、2002年、53頁。
  3. ^ a b 歴代議長 | 東京都議会”. www.gikai.metro.tokyo.jp. 2021年6月5日閲覧。
  4. ^ a b 歴代議長・副議長 | 東京都議会”. www.gikai.metro.tokyo.jp. 2021年6月5日閲覧。



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