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窪寺伝吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 09:22 UTC 版)

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窪寺伝吉
くぼてら でんきち
生年月日 1895年11月23日
出生地 日本 東京都
没年月日 (1965-08-18) 1965年8月18日(69歳没)
所属政党 (自由党→)
自由民主党
称号 従五位
勲四等旭日小綬章
藍綬褒章

在任期間 1954年6月 - 1955年4月

選挙区 中野区選挙区
当選回数 6回
在任期間 1943年9月13日 - 1965年6月14日

当選回数 1回
在任期間 1942年6月15日 - 1943年6月30日

東京府会議員
当選回数 3回
在任期間 1932年6月10日 - 1943年6月30日

当選回数 1回
在任期間 1932年 - 1936年
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窪寺 伝吉(くぼてら でんきち、1895年11月23日 - 1965年8月18日)は日本の政治家。中野区議(1期)、東京府議(3期)、東京市議(1期)、東京都議(6期)、第10代都議会議長を歴任した。

経歴

1895年11月23日、東京都に生まれる[1]1932年より中野区会議員を1期4年務めた[1]。また、同年6月10日から東京府会議員にも就任する[1]1942年6月15日には東京市会議員にも就任する[1]1943年6月30日に東京府議、東京市議共に退任した[1]。(東京府議は3期、東京市議は1期務めた[1])同年9月13日第1回東京都議会議員選挙中野区選挙区から立候補して、初当選した[1][2][3]。その後、財務委員長[注釈 1]1950年から1951年)、都議会自由党中正会幹事長(1952年から1953年)、東京都議会自由党政調会長(1953年から1954年)を歴任する[1]。1954年6月に第10代東京都議会議長に就任する[1][4]。また、全国都道府県議会議長会会長にも就任した[1]1955年4月に議長を退任した[1][4]。その後、各会計決算審査特別委員会委員長(1957年から1958年)、総務首都整備委員会委員長(1961年から1962年)を歴任した[1]1965年に発覚した都議会黒い霧事件の影響による自主解散をもって都議を退任した[1][2]。同年8月18日に死去した[1]

栄典

脚注

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注釈

  1. ^ 資料本文の表記を尊重

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 東京都議会議会局管理部総務課『東京都議会歴代議員略歴集録 昭和18年〜平成13年』東京都議会議会局管理部総務課、2002年、74頁。
  2. ^ a b 歴代議長 | 東京都議会”. www.gikai.metro.tokyo.jp. 2021年6月9日閲覧。
  3. ^ 東京都議会議会局法制部/編『東京都議会史』第1巻、東京都議会議会局、1951年、第1章 11。
  4. ^ a b 歴代議長・副議長 | 東京都議会”. www.gikai.metro.tokyo.jp. 2021年6月9日閲覧。



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