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菊池民一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/18 22:06 UTC 版)

菊池民一
きくち たみいち
生年月日 1887年7月13日
出生地 日本 東京都
没年月日 (1974-09-07) 1974年9月7日(87歳没)
所属政党 自由党→)
自由民主党
称号 正五位
勲三等旭日中綬章
藍綬褒章
在任期間 1951年5月 - 1952年5月
選挙区 牛込区選挙区→)
伊豆七島選挙区
当選回数 7回
在任期間 1943年9月13日 - 1965年6月14日
1965年7月23日 - 1969年7月22日
東京府会議員
選挙区 島嶼選挙区
当選回数 1回
在任期間 1940年6月10日 - 1943年6月30日
東京市会議員
当選回数 3回
在任期間 1933年3月16日 - 1943年6月30日
牛込区会議員
当選回数 2回
在任期間 1926年 - 1933年
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菊池 民一(きくち たみいち、1887年7月13日 - 1974年9月7日)は日本政治家牛込区議(2期)、東京市議(3期)、東京府議(1期)、東京都議(7期)、第7代都議会議長を歴任した。

経歴

1887年7月13日、東京都に生まれる[1]1926年から牛込区会議員を2期7年務めた[1]1933年3月16日から東京市会議員を務める[1]1940年6月10日からは当時の島嶼選挙区[2][3]から立候補して東京府会議員も務める[1]1943年6月30日、東京市議、東京府議共に退任した[1]。(東京市議は3期、東京府議は1期務めた[1])同年9月13日第1回東京都議会議員選挙で当時の牛込区選挙区から立候補して、初当選した[1][4][5]。その後、東京都選挙管理委員会委員長(1946年から1947年)、1947年第2回東京都議会議員選挙で島嶼選挙区を改め伊豆七島選挙区に改名された同選挙区に戻る形で立候補して当選、東京都議会自由党幹事長(1950年から1951年)を歴任した[1]。1951年5月に第7代東京都議会議長に就任する[1][6]。また、全国都道府県議会議長会会長にも就任した[1]1952年5月に議長を退任した[1][6]。議長退任後は、地方制度調査特別委員会委員長(1953年から1954年)、オリンピック大会招致実行委員会委員長(1957年から1958年)、オリンピック大会準備実行委員会委員長(1959年から1960年)、皇孫殿下誕生賀表, 賀牋起草特別委員会委員長(1960年)を歴任した[1]1969年の任期満了をもって都議を退任した[1][4]。1974年9月7日に死去した[1]

栄典

脚注

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 東京都議会議会局管理部総務課『東京都議会歴代議員略歴集録 昭和18年〜平成13年』東京都議会議会局管理部総務課、2002年、69頁。 
  2. ^ 選挙区名は島嶼選挙区であった。
  3. ^ 戦前東京府における府議会議員総選挙の結果について「郡部」
  4. ^ a b 歴代議長 | 東京都議会”. www.gikai.metro.tokyo.jp. 2021年6月10日閲覧。
  5. ^ 東京都議会議会局法制部/編『東京都議会史』 第1巻、東京都議会議会局、1951年、第1章 9頁。 
  6. ^ a b 歴代議長・副議長 | 東京都議会”. www.gikai.metro.tokyo.jp. 2021年6月10日閲覧。



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