菊池武雄とは? わかりやすく解説

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菊池武雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/08 13:55 UTC 版)

菊池 武雄(きくち たけお、1917年8月11日[1]1974年10月24日 [2])は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。

略歴

東京都出身。1938年國學院大學に入学し、1939年度には西岡虎之助が担当した科目「国史学」を履修[3]1941年3月に卒業[4]。卒業論文は「吉野朝時代公家社会世相と洞院公賢[5]。同年6月東京帝国大学史料編纂所に入所[4]。その後、兵役に就き、シベリア抑留を経て、1947年11月復員[4]1948年1月に史料編纂所に復帰し、1956年に助手[4]1968年に助教授、1974年に教授となる[6]。古文書部に属し、東大寺文書の編纂を担当した[4][7]1953年発表の論文「戦国大名の権力構造-遠州蒲御厨を中心として-」は、永原慶二氏によって「戦後新たに出発した戦国大名研究の起点に位置付けられる労作」と評価されている[8]

論文等

  • 菊池武雄(著)、歴史学研究会(編)「戦国大名の権力構造-遠州蒲御厨を中心として-」『歴史学研究』第166号、岩波書店、1953年、1-17頁、NAID 40003820027 
  • 菊池武雄「平氏受領表」『世界歴史事典』 22巻、平凡社、1955年、159-162頁。NCID BN0165224X 
  • 菊池武雄「建武政府國司守護表に就いて」『世界歴史事典』 22巻、平凡社、1955年、195-202頁。NCID BN0165224X 
  • 菊池武雄「日本の「告書」に就いて」1974年、NAID 110000275346 『東京大学史料編纂所報』第13号、1978年、19-29頁、NCID AN00162338 

参考文献

  • 海津一朗「西岡虎之助講義「国史学」にみる戦中戦後の国学院大学人脈」『紀州経済史文化史研究所紀要』第42巻、和歌山大学紀州経済史文化史研究所、2021年、31-49頁、CRID 1390573242499368448 
  • 署名無し「菊池武雄氏の訃」『日本歴史』第320号、吉川弘文館、1975年、142頁、ISSN 0386-9164 
  • 千々和到「付記」『東京大学史料編纂所報』第13号、東京大学史料編纂所、1979年、28-29頁。 
  • 永原慶二「解説」『戦国大名論集』 1巻、吉川弘文館、1983年、469-482頁。 NCID BN00320619 
  • 日本歴史学会 編『日本史研究者辞典』吉川弘文館、1999年、109頁。ISBN 4-642-03686-5 
  • 福田栄次郎(著)、歴史科学協議会(編)「菊池武雄氏の逝去を悼む」『歴史評論』第297号、校倉書房、1975年、146頁、ISSN 03868907 

脚注

  1. ^ 日本歴史学会 1999
  2. ^ 読売新聞: p. 23. (1974年10月25日) 
  3. ^ 海津一朗 2021
  4. ^ a b c d e 署名無し 1975
  5. ^ 署名無し「学部卒業論文題目一覧」『國學院雑誌』第47巻第2号、國學院大學雑誌部、1941年、86-88頁、ISSN 02882051 
  6. ^ 東京大学百年史編集委員会 編『東京大学百年史 資料三』東京大学、1986年、226頁。ISBN 4130010565NCID BN00141187 
  7. ^ 福田栄次郎 1975
  8. ^ 永原慶二 1983



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