詩集「春と修羅 第二集」とは? わかりやすく解説

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詩集「春と修羅 第二集」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 09:14 UTC 版)

春と修羅」の記事における「詩集「春と修羅 第二集」」の解説

上記の『春と修羅』に続いて花巻農学校教員時代後半1924年 - 1926年3月)に制作された詩群である。賢治は農学校退職後の1928年頃にこれをまとめて出版する構想立てた当初正規出版ルート使わずに、謄写版用いた完全な自費出版とする予定であった。しかし、賢治が所有していた謄写印刷道具一式労働農民党カンパとして供出したため、いったん構想停滞するその後友人である藤原嘉藤治花巻高等女学校音楽教諭)や菊池武雄童話集注文の多い料理店』の挿絵担当)らの勧め受けて出版社からの刊行企図し、「序」を執筆している。この序文には上記の2名が出版勧めた経緯記されている。また、作品執筆した農学校教員時代回想する記述があり、教員としての賢治を論じる際にしばしば引用される「この四ヶ年はわたくしにとってじつに愉快な明るいものでありました」という一節もここに含まれている。 なお、この第二集相当する時期から賢治は自作の詩に一連の作品番号付している。この第二集時期においては、「日付」と照合した場合番号不規則に飛ぶ(たとえば100番台の次は300番台となり、500番台まで行って再び300番台があるなど)現象見られる一方で度重なる推敲などを経て日付作品番号自体はほぼ変わらなかった。 結局、賢治の生前には詩集としての刊行実現せず下書きに近い状態の草稿残された(どの作品のどの段階形態収録する予定であったかも明示されていない)。使用した原稿用紙から、改稿推敲最晩年までおこなわれていたことが確認されている。このため複数逐次形態存在しており、『校本宮澤賢治全集』(筑摩書房1973 - 1977年)よりも前の全集文庫本には(読み取り困難さ故に)それらが入り交じった本文採用されている作品もある。また、校本全集以降、題が存在しない逐次形態では冒頭行のフレーズを〔〕で括ったものを仮の題としている。 『第二集』について入沢康夫は、『第一集』と『第三集』の間の「過渡的なものと見なされる傾向がある」と指摘し作品題材についてはその見解否定しないでも、晩年まで長い期間をかけて制作されたことを忘れるべきではないと述べ、「口語詩の中で、もっとも時間手間をかけた熟度の高い作品が、この『第二集』には集っている」という評価記している。

※この「詩集「春と修羅 第二集」」の解説は、「春と修羅」の解説の一部です。
「詩集「春と修羅 第二集」」を含む「春と修羅」の記事については、「春と修羅」の概要を参照ください。

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