詩集「春と修羅 第三集」
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「春と修羅」の記事における「詩集「春と修羅 第三集」」の解説
第二集と同じく、生前未刊に終わった詩集で、1925年4月から1928年7月にかけて制作された詩群。第二集では作品番号と日付が必ずしも並行せず、作品番号のプリンシプルが不明なのに対して、第三集は番号順と日付順が明快に一致している。これは、第三集が一種の安定を獲得していることを示すといっていいいだろうと天沢退二郎は述べている。 実生活との対応でいえば、「七〇九 春」にみられるように賢治が花巻農学校教諭の職を辞して、下根子桜の宮沢家別宅に独自自炊の生活に入ってからの日々から、これらの詩篇が生み出されたことになる。作品に則していえば、詩人の目はぐっと地面に近いところまで引き下げられ、そのために第二集とくらべて、世界の異相が明らかにされ始めたともいえる。詩人みずから選んだ視座とはいいながら、「煙」や「白菜畑」「悪意」などには、新しい憤りや愁いが詩人の魂を侵していることを知らせている。 「〔あすこの田はねえ〕」「野の師父」「和風は河谷いっぱいに吹く」の三篇は、農民への献身者としての生きがいがうたいあげられているように見える。しかし、「野の師父」はさらなる改稿を受けるにつれて、茫然とした空虚な表情へとうつろいをみせ、「和風は河谷いっぱいに吹く」の下書稿はまだ七月の、台風襲以前の段階で発想されており、最終形と同日付の「〔もうはたらくな〕」は、失意の底の暗い怒りの詩である。これら一見リアルな、生活体験に発想したとみえる詩篇もまた、単純な実生活還元をゆるさない屹立した“心象スケッチ”であることがわかる。
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