詩集「春と修羅 第三集」とは? わかりやすく解説

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詩集「春と修羅 第三集」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 09:14 UTC 版)

春と修羅」の記事における「詩集「春と修羅 第三集」」の解説

第二集同じく生前未刊終わった詩集で、1925年4月から1928年7月にかけて制作された詩群。第二集では作品番号日付が必ずしも並行せず、作品番号プリンシプル不明なに対して第三集番号順と日付順が明快に一致している。これは、第三集一種安定獲得していることを示すといっていいいだろう天沢退二郎述べている。 実生活との対応でいえば、「七〇九 春」にみられるように賢治が花巻農学校教諭の職を辞して下根子桜の宮沢家別宅に独自自炊の生活に入ってからの日々から、これらの詩篇生み出されたことになる。作品則していえば、詩人の目はぐっと地面に近いところまで引き下げられ、そのために第二集くらべて世界異相明らかにされ始めたともいえる。詩人みずから選んだ視座とはいいながら、「煙」や「白菜畑」「悪意」などには、新し憤り愁い詩人の魂を侵していることを知らせている。 「〔あすこの田はねえ〕」「野の師父」「和風河谷いっぱいに吹く」の三篇は、農民への献身としての生きがいうたいあげられているように見える。しかし、「野の師父」はさらなる改稿を受けるにつれて茫然とした空虚な表情へとうつろいをみせ、「和風河谷いっぱいに吹く」の下書稿はまだ七月の、台風以前段階発想されており、最終形同日付の「〔もうはたらくな〕」は、失意の底の暗い怒りの詩である。これら一見リアルな生活体験に発想したとみえる詩篇また、単純な実生活還元ゆるさない屹立した“心象スケッチ”であることがわかる。

※この「詩集「春と修羅 第三集」」の解説は、「春と修羅」の解説の一部です。
「詩集「春と修羅 第三集」」を含む「春と修羅」の記事については、「春と修羅」の概要を参照ください。

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