詩集と童話出版とは? わかりやすく解説

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詩集と童話出版

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 15:00 UTC 版)

宮沢賢治」の記事における「詩集と童話出版」の解説

1924年大正13年4月20日心象スケツチ 春と修羅刊行花巻吉田印刷所持ち込み1000部を自費出版した(定価2円40銭)。発行所名義東京関根書店になっている東京での配本関根太郎という人物頼み500委託したが、関根ゾッキ本として流してしまい、古本屋50銭で売られたという。本は売れず、賢治もほとんど寄贈してしまったが、7月ダダイスト辻潤が『読売新聞』に連載していたエッセイ紹介詩人佐藤惣之助雑誌日本詩人12号若い詩人に「宮沢のようなオリジナリティーを持つよう」と例に挙げた中原中也夜店で5銭で売っていた『春と修羅』のゾッキ本を買い集め、知人配っている。同年12月1日『イーハトヴ童話 注文の多い料理店刊行定価1円60銭)。盛岡高農後輩農薬パンフレット作っていた近森善一及川四郎が賢治の原稿見て刊行計画出版費用工面苦労しながら東京印刷製本した出版社「光原社」の名義1000作ったが全く売れず、賢治は父親から300借りて200買い取った本の挿絵担当した菊池武雄は『赤い鳥主宰鈴木三重吉に『タネリはたしかにいちにち噛んでたようだった』を送ったが「あんな原稿ロシアにでも持っていくんだな」と返された。しかし翌年1月、『赤い鳥』に『注文の多い料理店』の一頁広告掲載される三重吉の厚意無料だった。7月詩人草野心平同人誌銅鑼』に参加する11月23日花巻北上川小船渡東北帝国大学地質古生物教室早坂一郎教授案内、賢治が採集したバタグルミ(クルミの古種)化石学術調査協力。この場所を賢治は「イギリス海岸」と名付けていた。

※この「詩集と童話出版」の解説は、「宮沢賢治」の解説の一部です。
「詩集と童話出版」を含む「宮沢賢治」の記事については、「宮沢賢治」の概要を参照ください。

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